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Nr. 529 Juni 2025
さて、今回は「どの職業が人にとって良いだろうか」ということが話題になっています。
心理学者のリューディガー・マース(Rüdiger Maas)さんは、アウクスブルクに世代研究のための研究所を設立し、若者や青年たちの心情に関して深く取り組んできました。彼は「選択の危機」について話しています。なぜならば、すべてが選択できる人は、そのためにその選択の負担について、しばしば荷が重いと感じるからです。また、彼の観察によれば、若い世代における精神的な負担がしばしば治療を受ける原因となっているとのことです。しかしながら、多くの若者が精神科を訪れることが、必ずしも精神疾患の数が実際に増えていることを意味するわけではないとも指摘しています。
ニッケルさん(Frau Nickel)は1967年生まれです。彼女は企業が若い世代のニーズに対応できるようにサポートしています。彼女は、自分の世代や自分の親の世代にとって、仕事はより大きな意味があったと言います。当時は、収入を得ることができるだけで満足し、その企業がどのような社会的な役割を持っているのかについては余り考えませんでした。どのような種類の可能性がまだ存在していたのかについて、ほとんど気にかけませんでした。当時は人々の仕事に対する考え方が異なっていたのです。
アニアという名前は、マイヤーさん(Frau Mayer)が彼女の番組である若い女性について話すときに使用しているファーストネームです。この若い女性は、スポーツと健康経済学を学び、1年前までは青年プロジェクトで有期契約の下で働いていました。彼女は、しかしながら、自分の契約を更新しないという決断をし、結果としてその契約は終了しました。彼女は現在、失業中で、失業者として労働局(2004年以降はもはやArbeitsamtではなく、Agentur für Arbeitと呼ばれています)からの給付金で生活しています。
彼女は卒業試験をもって学業を終了した後、自分にとって快適に働ける理想的な職場がどのようなものかについて多くのことを考えています。彼女は、どこで、どのように、そして誰と働きたいかはまだ分かりません。まずは、自分に合ったものや自分にふさわしいものを見つけたいと思っています。
ある調査によると、ドイツでは18歳から29歳までの若者の半数以上が、雇用主を変更する意向を持っていることが明らかになりました。これは以前はむしろ希なことでした。また、以前は雇用主を変更する際に、慎重に計画が立てられていましたが、最近では次の仕事が見つかっていなくても、会社を辞めることを決断する人が増えています。このような退職は、彼らの両親や祖父母の世代では考えられないことでした。ひょっとすると、現代の若者たちは、より勇敢で、リスクを取る傾向にあるのかもしれません。しかしながら、何より、彼らは職場に対してより高い要求を持ち、かつてのレベルより自分自身のニーズを重視するようになっています。
32歳になるある女性は、マイヤーさん(Frau Mayer)の番組でファーストネームだけで紹介されています。彼女はミュンヘンであるメディア企業の人事部で働いていましたが、そこでの退職を決断しました。雇用主には後任を探すために三ヶ月の猶予がありました。退職まであと10週間という時点で、彼女は退職理由として、自分を何らかの形で成長させる何かをしたい、それが自分に合っているからだと言いました。そしてさらに多くの経験を積みたいと思っている、と言いました。
彼女は会社を辞めた後、元の仕事がなくて寂しいと思いもしましたが、友人の牧場でも彼女には十分に忙しい仕事がありました。彼女は毎朝6時過ぎに起き、友人の動物の世話を手伝いました。それに対して、月最大で538ユーロをもらっていました。動物たちを牧草地に連れて行く間、山頂からゆっくりと太陽が昇り、その光景が彼女のお気に入りでした。
彼女にとって、自分が自由であると感じることはとても重要です。彼女は働くこと自体は大好きですが、再度週40時間で働き、その一つの仕事に完全に専念する雇用主を選ぶことができるかどうか分かりません。しかしながら、働かないというのは彼女には合わないことでしょう。彼女はまだ本当に自分に合った仕事を見つけておらず、常に探し続けています・・・。
さて、ある調査によると、ドイツでは18歳から29歳までの若者の半数以上が、雇用主を変更する意向を持っているとのことでしたが、日本ではどうなのでしょうか。私が調べた限りでは直接比較ができるような転職意向のデータは見つかりませんでしたが、マイナビキャリアリサーチラボが実施した転職率の調査が参考になるかもしれません。これによると、2024年の1年間における全世代の転職率は7.2%で、2022年の7.6%からはやや減少傾向にあります。また、20歳台に限定すると、2022年が35%、2024年が33.5%でした。日本においても若者の転職志向はドイツ同様強いと言えそうですが、ドイツほどではないかもしれません。
さて、アウクスブルクに世代研究所を設立した心理学者のリューディガー・マースさんの言葉として„Auswahlkrise”が出てきますが、私は類義語として„die Qual der Wahl”(「(選択の自由に伴う)選択の苦しみ」)と言う表現を思い出しました。これは選択肢が多すぎるがゆえに決定が難しい状況を指すわけですが、我々は日常生活のあらゆる場面でこれを経験していると思います。例えば、休暇で旅行する旅先の選択、ショッピング時の物品の選択、進路の選択、レストランでのメニューの選択・・・など列挙すればきりがないほどです。この表現は「苦しみ」と言っていますが、私には多くの場合、「楽しさを伴う選択」と思えます。一方では、本当に「選択の苦しみ」を指す場面もあり得ます。例えば、医療における判断や緊急時の避難の判断などがその例だろうと思います。ともかく、現代人は常に何かを選択することにより生活しているのだなぁと思います。
ところで、アニヤさんは、学業を終了した後、自分にとって快適に働ける理想的な職場がどのようなものかについて多くのことを考え、どこで、どのように、そして誰と働きたいかはまだ分からず、まずは、自分に合ったものや自分にふさわしいものを見つけたいと思っているといいます。彼女は、一旦は有期契約の下で働いていましたが、契約の満期をもって更新しないという決断をし、失業者として労働局からの給付金で生活しているとのことでした。今回の放送が2024年11月ですので、半年以上が経過した現在は彼女は自分にあった新しい職場で働いているだろうと思います。彼女はしっかりした考えの持ち主のように思えますので、その新しい職場においても自身を成長させることができるような気がします。
ところで、アニヤさんについて最初に述べられている第三パラグラフ(Anja~wird)ですが、私がワードで課題を作成したとき、8行半から成る複数の文となりました。文頭からPunkt(「ピリオド」)まで非常に長いと思いましたし、驚きもしました。
ところで、テキスト19ページで興味深い指摘がされています。それは、過去数十年で労働条件は大幅に改善されたものの、新たなストレス要因が三つ加わったというものです。一つ目は、スマートフォンにより我々は絶えず世界の危機を目にするようになりましたし、二つ目は、ソーシャルメディアは自己像に揺さぶりをかけています。三つ目は、常時接続により真の「オフ」が難しくなっているといいます。これらはいずれもデジタル機器の発達のおかげで私たちが恩恵をうけると同時に、負の面にも向き合わざるを得ないということを意味しているのだと思います。最近ではその負の目に目を向けた結果として、デジタルデトックス(Wikipediaによれば「SNSやスマートフォンやコンピューターといったデジタル機器の使用を自発的に控えていくこと、またその期間」のこと)ということも話題になっているようです。
最後に前回課題(Nr.528)および今回課題に登場するüberfordernという動詞について気になりましたので、ここで整理しておきたいと思います。
前回課題の第4パラグラフの最後に…wenn man sich dafür anstrengen muss, aber nie überfordert ist.(「そのために大いに努力をしなければなりませんが、決して過大ではない場合」) とあり、また今回課題の最初のパラグラフにおいてもWer sich alles aussuchen kann, ist deswegen oft mit der Auswahl überfordert.(「すべてが選択できる人は、そのためにその選択の負担について、しばしば荷が重いと感じます。」)という文があります。überfordernという動詞は、手元の独和辞書によれば、「~に過大な要求をする」と言う意味ですが、この辞書には例文としてDie Eltern dürfen das Kind nicht überfordern.(「両親は子供に過大な要求をしてはいけない」)が記載されています。この例文のようにüberfordernという動詞がそのまま使用される場合、日本語では「~に対し」であっても、fragenやbittenと同様4格目的語が必要であることにまずは注意が必要だと思います。
さらに問題となると思われるのは、過去分詞形または現在分詞形として用いられる場合です。今回の課題では、überfordernの過去分詞形であるüberfordertが使われ、主語にあたる人にとって、「過大な要求をされている」→「荷が重い」となります。尚、手元のDuden独独辞典にはDie Feuerwehr war überfordert.(「消防隊には手に負えなかった」)という例文が掲載されていることも紹介しておきます。
一方では、überfordernの現在分詞形のüberforderndという単語もあります。例えば、Die Aufgabe ist überfordernd.(「その課題は負担が大きい」)という文が示すとおり、主語にあたるものが「過大な要求をしている」→「負担が大きい」という意味になります。
この二つの例文が示すとおり、überfordertは主語Werが「負担を受ける側」で使われ、überforderndは主語Die Aufgabeが「負担を与える側」で使われるという違いがあります。我々ドイツ語学習者としては過去分詞überfordertと現在分詞überforderndの使い分けにも注意する必要があると思います。
K. K.
