Direkt aus Europa
auf deutsch seit 1984 monatlich für Deutsch lernende Japaner
Für alle, die sich für die deutsche Sprache, wie man sie heutzutage spricht, und für Nachrichten aus Deutschland, Österreich und der Schweiz interessieren, sind diese Hörverständnisübungen 18 Jahre lang im Asukado-Verlag und dann noch ein Jahr lang im Asahi-Verlag erschienen.
Seit April 2004 stellen wir „Direkt aus Europa” jeden Monat ins Internet. Dafür brauchen Sie nichts zu bezahlen. Wer etwas zu den Produktionskosten beitragen will, zahlt freiwillig 1000 Yen im Monat oder 12 000 Yen im Jahr (Studenten die Hälfte) auf das Spendenkonto ein: Postscheckkonto Deutschlandseminar 00160-6-44434.
Allerdings müssen Sie sich nun immer alles selber aus dem Internet holen: Selbstbedienung! Sie bekommen jeweils ab 8. die Tonaufnahmen und ab 10. des Monats, was dazu bis Nr. 277 im Beiheft stand. Hören Sie sich die Tonaufnahmen bitte erst nur mal an! Meist sind es etwa je eine halbe Stunde „Seite A” und „Seite B”. Lösen Sie nun bitte die Verbindung, die von Ihrem Computer zu den Lautsprechern führt, und verbinden Sie statt dessen den Ausgang Ihres Computers mit dem Eingang Ihres Tonbandgeräts, um alles auf den beiden Seiten einer Tonbandkassette aufzunehmen! Dazu können Sie sich dann ab 10. auch das Beiheft ausdrucken (je 2 Seiten A 5 auf einem Blatt A 4) und selber zusammenheften: Selbstbedienung!
Ihre Übungsaufgabe schicken Sie bitte bis Monatsende an die Redaktion (Ishiyama Shosai)! Geben Sie außer Ihrer Adresse bitte immer auch eine Faxnummer* an, unter der Sie Ihre Zensur (0 – 10 Punkte) erreicht und der Text, mit dessen Hilfe Sie dann Ihre Fehler bitte selber verbessern, um sich zu überlegen, woher diese Fehler kommen und was Sie noch mehr üben müssen. Sie können auch immer noch ältere Übungsaufgaben (ab Nr. 166) einschicken.
Was von Nr. 46 (Weizsäcker, 8. Mai 1985) und Nr. 91 – 265 (163: „Das war die DDR.”) noch beim Asukado-Verlag vorhanden war, bekommen Sie jetzt gratis, wenn Sie sich das nach telefonischer Vereinbarung – am besten sonntags, montags oder auch dienstags, 8 – 10, 14 – 19 Uhr – in Ikebukuro abholen (außer Ende März und Ende Juni bis Ende September): (03) 5953 4615.
Nr. 266 – 277 gibt es noch beim Asahi-Verlag, Fax (03) 3261 0532. Seit Nr. 278 erscheint „Direkt aus Europa” nur noch im Internet und ist da mindestens ein halbes Jahr lang zu bekommen. Ältere Ausgaben findet man in Bibliotheken.
Wir bleiben bei der traditionellen Schreibweise, wie sie bis 1991 im Duden stand und seit 2000 in Prof. Icklers Rechtschreib-Wörterbuch (ISBN 3-931155-14-5) steht, weil die leichter zu lesen ist als jede andere heutzutage verwandte.
* Wer keinerlei Zugang zu einem Faxgerät hat, möge einen Freiumschlag für die Rücksendung beilegen und die angestrichenen Fehler dann selber verbessern.
21. 2. 2008 St.
Studienkommentare Anmerkungen schicken Sie bitte mit der Post (am besten zusammen mit der Übungsaufgabe) an die Redaktion! Ein paar davon veröffentlichen wir hier ganz oder teilweise – auf Wunsch auch mit dem Namen des Einsenders.
Nr. 520 Juli 2024 Neuさて、今回は「ドイツ連邦軍とNATO」が取り上げられています。 ドイツはNATOの一員であり、ドイツ連邦軍は、NATO領域の防衛においては、ドイツがNATOの一員であることで攻撃者が思いとどまるように協力体制にあることが求められます。しかしながら、長年にわたり、NATO領域外での軍事行動は制限されてきました。領域外での軍事行動においては、その地域の状況を安定させることが重要であり、限られた兵力と武器だけが必要だったからです。しかしながら、ロシアが2014年にクリミア半島を併合したとき、この状況は変化しました。 しかしながら、ドイツではこの新しい状況に対して殆ど対応がなされませんでした。多くの人々が、状況が変ったことにようやく気がついたのは、ロシアが2022年2月24日にウクライナを攻撃したときでした。今や、ドイツ連邦軍の中心的な任務は再び、NATO領域の防衛となりました。 軍事専門家たちは、NATOの領域へのロシアの攻撃が今や再び考えられると思っています。ただし、近い将来ではないとしても、例えば5年から8年後が考えられます。その場合、ロシアは本当に再びヨーロッパに対し軍事的な脅威となる可能性があります。これに対抗するためには思いとどまらせること、つまり抑止力だけが役立ちます。そのためには多くの軍備と兵士が必要です。 ドイツ連邦軍の可能性のある展開地域は、冷戦時代と比べ数百キロメートル東に移動することになるでしょう。この準備の一環としてドイツ連邦軍の部隊は様々な国に展開されており、その中にはリトアニアの一個旅団も含まれています。この部隊は2027年運用可能になる予定であり、第10戦車軍団に所属する予定です。 1956年以来、ドイツでは徴兵制度法が存在していますが、2011年3月に変更され、暫定的ですが、現在は誰も兵士になる必要はありません。兵士になるのは自由意志です。現在、兵士数も予備役としての兵士数も減少しています。兵役制度がまだ適用されていた時は、80万人の兵士がいつでも召集され、軍隊の規模を130万人に増やすことができましたが、現在はそのような状況からはほど遠いです。 以前は、予備役を補充するための古い構造が存在していましたが、現在は存在しません。また、徴兵制度の停止に伴い、予備役の勤務も自発的なものとなり、さらに予備役の雇用主の同意も必要です。予備役として活動しているのはわずか39,000人の男女の元兵士です。毎年10,000人が加わり、最終的には90,000人になる予定です。 NATO加盟国の連帯を強化するために、共同の軍事演習を実施しています。この冷戦終結以来最大の演習には90,000人が参加しました。その内12,000人はドイツから来ています。この演習は2年前から計画され、ノルウェーからバルト三国そしてルーマニアにかけてのNATO領域の国々で実施されました。デモンストレーションされるべきだったのは団結であり、もたらされるべきだったのはNATO加盟国の内の一国への攻撃を抑止させることでした。これにより、プーチン大統領の脅しと彼の領土要求に反応しました。 彼は恐らくヨーロッパ全体を狙っているわけではないだろうと考えられますが、バルト三国を狙っているだろうと思われます。彼はNATO加盟国がNATO条約に基づき支援義務に合致した形態で本当に互いに支援するかどうかちょっとテストしようとしているのかもしれません。 現在リトアニアにおいて計画されているような外国におけるドイツ軍の永続的な駐留は、これまでにはなかったものです。これは新しい試みであり、兵士にとってだけでなく、政治家にとても新しいことです。 国土防衛については間接的にしか論じられていません。なぜならば、ヨーロッパのどの国も単独で自国防衛することができないだろうと思われるからです。そのためには複数の国の協力が必要であり、NATOがそれだけ重要であるということです。 しかしながら、NATO内でドイツ連邦軍は重要な役割を担っており、それを果たすことができるためには、これまでよりずっと多くの武器や兵士が必要です。しかしながら、注文した武器が納品されるまでには多くの時間がかかります。ドイツ連邦軍の進歩と改革は非常に肯定的に評価できますが、すべてが非常に遅いと批判することもできます・・・。 さて、今回の放送および課題において触れられているドイツの徴兵制ですが、2023年1月にピストリウス国防大臣が「・・・2011年に徴兵制を停止したのは間違いだった」と発言し、以後兵役義務の再開の是非について議論されているようです。私が調べた限りでは、ロシアのウクライナ軍事侵攻を背景に、兵役義務の再導入に対して賛成する意見が過半数のようです。例えば、Statista社の調査(2024年1月実施)によれば、賛成52%、反対48%、Forsa社の調査(2024年3月実施)では、賛成52%、反対44%。また、#NDRfragt社の調査(2024年6月実施)では、賛成60%、反対40%でした。圧倒的多数の人々が賛成というわけではありませんが、3社のどの調査においても賛成が反対を上回っています。ただ、圧倒的多数が賛成というわけでは無かったということは、意見が割れているとも解釈できると思います。ロシアのウクライナ軍事侵攻前、つまり兵役義務が停止された2011年から2021年の間に実施された世論調査については調べられませんでしたので、比較ができませんが、恐らく賛成が多数を占めることはなかっただろうと想像します。それがウクライナへの軍事侵攻により一変したのではないかと想像します。まさに後述の通り、ショルツ首相の表現を借りれば「時代の転換期」だったのだと思います。 さて、2022年2月のロシアのウクライナへの軍事侵攻は衝撃的でしたが、以来、これに関連し数多くの出来事が起き、多くの政治家が発言しましたが、特に私の印象に残ったものは以下の点です。 1.シュタインマイヤー大統領の自らの誤りを認めた発言 ロシアのウクライナへの軍事侵攻後、シュタインマイヤー大統領が公の場で大統領自身が首相府長官、外務大臣在任中のみならずSPDが行ってきたロシアに対する宥和政策の誤りを認めました(長い間ドイツが掲げてきた„Wandel durch Handel”という政策は対ロシアに関して有効な時期があったものの、現在では誤りだったという評価なのかもしれません)。当時たまたまインターネットでドイツのニュースをチェックしていた私は、現職の大統領から発せられたこの発言に驚きもしましたし、率直かつ潔い発言だと思い、好感が持てました。しかしながら、残念なことに当時の日本の大手メディアで彼の発言を取り上げたところは私の知る限りなかったように思います。 2. ショルツ首相の「時代の転換期」(„Zeitenwende”)発言 ショルツ首相は連邦議会において、ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関連し、この攻撃を「時代の転換期」(„Zeitenwende”)と表現したことが私の印象に残りました。この言葉は、2022年の„das Wort des Jahres”(「今年の言葉」ですが、日本の「新語・流行語大賞」のようなものだと思います)にも選定されるほどドイツの社会にインパクトがあったと思いますし、ロシアのウクライナへの軍事侵攻がいかにドイツの人々にショックを与えたかが窺えます。Wikipediaによりますと、「その対応でドイツ政府は軍の強化に向けた基金に2022年に1,000億ユーロを振り分ける方針を示すとともに、2024年までに国内総生産(GDP)の少なくとも毎年2%を国防費に毎年充てると表明した」。そしてこの発言は、当時ドイツ社会のみならず、ヨーロッパにおいて受け入れられたのではないかと思います。冷戦終結後ドイツの国防費はGDP比1%台で推移してきましたが、大幅に増強され今後は2%台になる見込みです。 3. シュレーダー元首相の発言や行動 元々プーチン大統領との関係が近く、ノルド・ストリームの建設に力を注いだシュレーダー元首相は、ロシアのクリミア半島併合など国際法に違反する行為についてプーチン大統領を擁護したり、「ブチャ虐殺はプーチン大統領の責任ではない」との擁護発言をしたり、2023年5月9日の在ベルリン・ロシア大使館で開催された対独戦勝記念日に出席したりと物議を醸す発言・行動が多いと言われています。従いまして、「政治家としての晩節を汚した」(ドイツ在住ジャーナリストの熊谷徹氏)と言われても仕方がないだろうと思います。 4.エネルギー資源の供給源としてのロシアとの決別 ドイツは、ウクライナ軍事侵攻前には全天然ガスの約半分を、原油の三分の一以上をロシアからの輸入に依存していました。ウクライナ軍事侵攻後2022年8月にはノルド・ストリーム経緯の天然ガスを、そして2023年1月には原油のロシアからの輸入をそれぞれストップしました。エネルギー資源の供給源を世界各国に求めると共に(他国に買い負けしないためには高く購入せざるを得なかったこともあったかもしれませんが)、再生可能エネルギーにさらに注力し、また当初予定していた2022年夏における脱原発を2023年4月に延期するなどしてエネルギー資源確保に取り組んだといいます。ドイツにとって主要なエネルギー供給源だったロシアからの供給が断たれることになったのは大きな痛手だったと思いますが、現在は、ロシアと決別できたのではないかと思います。では、今後当面は「ノルド・ストリーム」は凍結されるとしても、果たして半永久的に凍結されるのでしょうか。10年後はともかく、20年後、30年後も凍結されたままでしょうか。もっとも、それまで使用もされず、メインテナンスもせず放置されていれば、装置としては使用不能になると思われますので、凍結と同義かもしれません。 5.スウェーデンとフィンランドのNATO加盟 スウェーデンとフィンランドは長年にわたり中立を国の外交防衛方針としていましたが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻後、NATO加盟に方針を転換しました。両国は自国の軍事力だけではロシアの脅威に対抗できないと判断したといいます。2023年4月にフィンランドが31番目の国として、そして2024年2月にスウェーデンが32番目の国としてそれぞれNATOに加盟しました。両国が加盟申請に動いたとき、プーチン大統領は大きく反発したようですが、当時ある大学の准教授が朝日新聞の取材に答えて「プーチン大統領のオウンゴール」と語っていたのが印象に残っています。NATOの東方・北方拡大を阻止したかったプーチン大統領にとっては、とんだ誤算だっただろうと思います。予期せぬこの不都合な事態を「オウンゴール」と表現したことにはなるほどと納得しました。 ところで、ロシアのウクライナへの軍事侵攻とは関係ないのですが、長期に亘って(2005年~2021年)ドイツの首相を務めたメルケル氏についても最後に触れておきたいと思います。 2021年12月に首相を退任したメルケル前首相はいずれ自伝を出版すると言われてきましたが、今秋、自伝を出版することを先日インターネットで読みました。彼女が自身の在任中のことに限定して書くのであれば、ロシアのウクライナ侵攻については触れられない可能性もあります。しかしながら、西側首脳の中でプーチン大統領と最も多く会談をしたのはメルケル前首相であると言われていますので、自伝の中では少なくともプーチン大統領については言及されるものと思います。彼についてどのように書かれるのか個人的にはとても興味があります。また、在任中にロシアに対してどのような見方をしていたのかも興味がわいてきます。 K. K.
Nr. 519 Juni 2024 さて、今回は「親の介護」が取り上げられています。 „Direkt aus Europa”の519号の「宗教と社会から」(„Aus Religion und Gesellschaft”)というシリーズ番組においては、子供が両親に対してどのような責任を負うべきなのかについて議論になりました。もちろん、小さな子供はその両親に従順であるべきですが、この放送においてはそういう議論ではなくて、その両親が既に高齢者になって、ますます助けを頼りにされているようになっている成人としての子供の責任について議論になっていました。 この番組ではある女性の名前がフルネーム、つまりファーストネームと姓または家族名では表示されておらず、彼女のファーストネームだけが表示されています。しかもこのファーストネームはひょっとすると、彼女の実際のファーストネームではなく、彼女がどこの誰かが特定されないように、この放送のために選んだファーストネームに過ぎないかもしれません。なぜならば、彼女は両親とは既に7年間も関係を絶っていたからです。そして両親との関係を絶つことは、多くの人にとっては道徳的にみて非常に非難すべきものと映るからです。彼女は当時おそらく40歳台初めだったかもしれません。彼女は長い間、両親とは親密な関係ではありませんでしたし、二三ヶ月おきにしか訪れませんでした。両親の家にいると、そこは冷たい雰囲気だと感じましたし、母親に嫌われていると感じていました。 ある日、彼女は連絡を絶つことを決意し、両親にこれを伝えた時、彼らの反応はわずかに肩をすくめ、目をちょっとぴくぴくさせ、少しの涙を流しただけでした。彼女の父親は、両親がそれを受け入れる必要があると言いましたが、ジルケさんにとっては、強烈な罪悪感を伴いました。なぜなら、彼女は両親に命を助けてもらったと感じており、両親は長年に亘り彼女を育て上げ、いつも彼女のために費用をすべて支払ってくれたからです。 彼女はいつも両親のことが頭から離れず、彼らがどうしているかを知りたいと思っていました。特に彼女にとってつらかったかもしれないことは、父親が亡くなったことをある日どうにかしてひそかに知り、もう彼とは話すことができなくなることだったでしょう(幸いそれは起きませんでした)。それに対して彼女は大きな不安を持っていました。そして彼女は7年後、自ら両親に再び連絡を取り、仲直りました。 聖書に記された10の戒律は、キリスト教の倫理の基盤を形成するだけではなく、キリスト教ではない人々にとっても人間関係を規定しています。第4の戒律によれば、父と母を敬うことが求められています。しかしながら、あるカトリックの神学者は、これは上位者を敬うのとはちょっと異なると解釈しています。自分の親の場合、彼らに対しては、ただ敬意をもって扱い、彼らの尊厳を尊重することが重要であるといいます。また、しかしながら神学者は、両親の名誉を過大に高めることではないと付け加えています。自分の両親を尊敬と敬意をもって扱う人は、彼らが自分に期待できることにも限界があることを受け入れてもらえると考えています。なぜならば、彼にだって自分自身の人生と自分自身のニーズ・欲求があるからです。 セラピストのケーニッヒさん(Frau König)は、第4の戒めが多くの人々や多くの家族に多大な災いをもたらす教義だと考えています。また、暴力を振るう親も存在し、彼らを敬うことはまったく適切ではないといいます。自分の両親と良好な関係を築いている人にとっては、お互いに一定の結びつき・連帯感や心づかい・配慮を持つことは自然であり、戒律を全く必要としないといいます。生まれることについては、人は何もできないとされていますし、それに対して両親には何の義務もないといいます。 ランバースさん(Frau Lambers)は、社会教育学者です。彼女は「両親が突然高齢になったとき」(Wenn die Eltern plötzlich alt sind)というタイトルの本を執筆していますが、長年に亘り、高齢の両親との接し方についてのセミナーも行っています。なぜならば、高齢者はますます多くの支援を必要としており、高齢の両親はこの支援をしばしば子供たちに期待しているからです。 しかしながら、それは成人した彼らの子供たちが多くの時間とエネルギーを費やすことになり、彼ら自身は何かを諦めなければなりません。そして、その結果、自分の親に本当にそれを負うべきなのか、また、両親は子供たちを育てたことにより、それを得たことが当然なのかという疑問が沸きます。 自分の高齢の両親の世話をすることは、以前と違ってもはや当然のことではありません。なぜなら、就労可能年齢における全女性の4分の3、そして同じく全男性の84%が仕事をしていますし、介護のための休暇は最長6ヶ月は保証されますが、介護が必要な期間は平均して8.2年も続くからです・・・。 さて、テキストにも記載がありますが、親の介護は40~50歳台で発生することが多いですが、その頃は成人した子供は人生をうまく整え、別の街に引っ越し、おそらくは自分の家庭を持ち、キャリアを築いています。親との関係は、週に一度親の元に訪れる人もいれば、イースターやクリスマスだけ訪れる人もいます。親との関係がどれほど親密かによってだけでなく、私の想像するところでは、それに加え、両親の健康状態がどのような状況なのか、兄弟姉妹が何人いるか、両親の暮らしている街とどれくらい離れて暮らしているか、多忙な仕事をかかえているか否かなど様々な要因により両親の元を訪れる頻度も変ってくるだろうと思います。 さて、放送・課題に登場するジルケさんの場合、両親のいずれかが介護が必要な状態と思われますが、どの程度の介護等級なのかは不明です。また、ジルケさんが両親とどれくらい離れて住んでいたのかも分かりません。さらに、またジルケさんには兄弟姉妹はなく、一人娘なのでしょうか、両親の世話を一人で抱え込んでしまっていたのかもしれません。ただ、テキストによりますと、元々両親との関係は薄かったようですし、両親を二三ヶ月おきにしか訪れていなかったわけですから、実際にはジルケさんが両親の世話のために多大の時間、労力を割いていたとは私には考えにくいです。ジルケさんは恐らく「母親からは嫌われている気がしている」→「両親を訪ねたくない」→「ますます母親からは嫌われている気がする」→「だから両親を訪ねたくない」という負のスパイラルに陥ってしまったのではないでしょうか。しかしながら、そのような両親に対する気持ちを抱きながらもジルケさんがいざ両親との連絡を絶つことを宣言し、「親を棄てる」となると、その決断をするまでには相当な葛藤があったと思います。そして、実際に親に自分の決断を伝えるシーンは印象的でした。ジルケさんはその後も常に罪悪感に苦しんだようですので、7年後に仲直りができたのは本当に良かったと思います。仲直りを経ての現在、ジルケさんと両親はどのような関係を保っているでしょうか。良好な関係であって欲しいと思います。 ところで、ランバースさんの書いた「両親が突然高齢になった時」(„Wenn die Eltern plötzlich alt sind”)というタイトルの本ですが、調べてみたところ、2016年8月に出版され、„Wie wir ihnen helfen können, ohne uns selbst zu überfordern”(「私たちが過大に背負い込まずに、どのように両親を助けることができるか」という副題がついていました。私がドイツ・アマゾンでチェックした限りにおいては、この本は読者の評価がかなり高かったようです。この本は、高齢の親の介護に直面する成人の子供たちに向けた実用的なガイドで、親の介護が物理的および感情的にどのような負担になるかを説明し、この解決策を見つけるためのヒントや視点を提供しているようです。発売以来どれくらいの部数が販売されたかについては調べられませんでしたが、現代のニーズに合致していると思われますので、相当数売れたのではないかと思います。 今月の課題に取り組み始めた7月初旬の時点では従来通りだったと思いますが、何かの切っ掛けでホームページを閲覧したところ、Direkt aus Europa auf Deutschのホームページの体裁・外観が一新されていることに気がつき、新鮮な驚きを感じました。内容が変ったわけではありませんが、慣れるまでには少し時間がかかりそうです。しかしながら、Deutschlandseminarをクリックしたところ、従来通りのVergleichende Landeskunde(日欧比較文化演習)のページにたどり着き、安心しました。 K. K.
Nr. 518 Mai 2024 今回は「一人で生きる」(Alleine leben)ことが話題になっています。 多くの人々は、一人暮らしをしていることは全く悪くはないと思っていますし、実際、かなり良いとさえ感じています。このテーマについて、ビーレンベルクさん(Frau Bielenberg)は、ヴァイヒャートさん、(Herr Weichert)とライヒェンバッハさん(Frau Reichenbach)と話し合いました。彼らはどちらも子供を望んでいませんでしたが、別のパートナーを常に探すこともありませんでした。彼女は実際にはフランス人男性と12年間結婚していました。彼らが別れたときは、彼女はほっとしました。彼は以前、2年間パートナーと一緒に暮らしていましたが、少し飽きてしまったようですし、彼女もひょっとしたらそうだったかもしれません。彼女は、どこかに落ち着きたかったと表現しています。 彼は長期的には一人で暮らすことが最善だと考えています。彼の親しい友人は離婚を経験しました。彼は家族が崩壊する様子を目の当たりにしました。多くの口論、悪口、絶望がありました。彼は、一人で暮らすことは良くないかもしれない、しかしながら自分にとっては、常に理想的ではないとしても、ひょっとしたらやはり最善の選択であるかもしれないと自分に言い聞かせました。ただし、同僚や友人の間では話さないことを、話せるような誰かを近くに持っていたいとちょっと感じることが再三あります。 彼にとって、一人暮らしの良いところは、やるやらないを自分の意志でできることにあります。自分自身のために、すべてを一人で決定できます。それは彼にとって自由の一部です。友人の結婚生活を見て、この自由がどれだけ早く失われ、大きな愛が日常生活のために犠牲にされることを目撃しました。これを目の当たりにしたことは、彼にとって印象的だと思いました。 彼は今では47歳です。もっと若いころは、彼は長期的なパートナーシップにおいて生活することを想像できましたが、ただ子供を持つことだけは望んでいませんでした。彼はおそらく子供に対する責任が生まれることを恐れていたのでしょう。彼が育ったのはカールスルーエの近郊でした。彼は高校卒業資格を取得せず、中等教育まで学校に通いました。職業訓練を受けてからようやく、彼は専門単科大学の資格を取得し、二次的教育システムで学業を続けました。彼は多くのことを成し遂げましたが、家庭を築くことには自信がありませんでした。しかしながら、それゆえに彼は何も欠けていると感じていませんでした。 ライヒェンバッハさん(Frau Reichenbach)は66歳です。彼女は外国語通信員でしたが、現在は北海にあるフーズム(Husum)の築90年の家の小さな住居で年金生活を送っています。彼女は金銭面で決して男性に依存するのではなく、自分でお金を稼ぎたかったのです。彼女は世界を知り、人生を楽しむことを望んでおり、それを実現もしました。もちろん、それには恋愛関係も含まれていました。しかしながら、彼女は常に自分の興味を後回しにしていました。 彼女は例えば、いつも自転車に乗るのが好きでした。しかしながら、彼女がちょうどパートナーを持っていたときは、そのパートナーがそれを好まなかった場合、彼が彼女に求めなくとも自転車に乗ることをやめました。恋愛関係が終わったときには、また彼女のパートナーの他の興味に配慮することなく、パートナーが全く望まない場合でも、自分がしたいことを再びすることができることを、いつも満足して喜んでいました。 彼女は自分の人生で子供を持った家庭生活を想像できませんでした。そこで彼女は26歳のときに、妊娠できないようにするために避妊手術を受けました。その決断を決して後悔したことはありませんでした。彼女がそのフランス人の男性と知り合ったとき、フランクフルト・アム・マインに住んでいました。彼女が子供を望まないことを彼は受け入れました。そして、彼らはアルザスに引っ越しました。そこで彼らはフランスに住むことになりましたが、彼女はそこから引き続きドイツで働くことができました。彼は飲食業界で働いていました。しかしながら、彼は失業し、多くのアルコールを摂取するようになりました。一方、彼女は働いて2人の生計を立てていました。 彼は飲食業界で働いていました。しかしながら、彼は失業し、多くのアルコールを摂取するようになりました。一方、彼女は働いて2人の生計を立てていました。しかし、この状況はうまく行きませんでした。 今や彼女は一人で幸せであり、満足しています。彼女は一人で暮らしていますが、寂しいとは感じていません。彼女には多くの女性の友人がいますが、フーズムに住んでからは彼女たちとはインターネットを通じて連絡を取り合っています。また、フーズムには彼女にとって好感の持てる隣人もいます。彼女はその女性とはますます頻繁に会って、お茶を飲みます・・・。 さて、多くの「シングル」は、適切なパートナー、最良の場合は一生のパートナーを探しています。しかしながら、本当に大きな永遠の愛は存在するのでしょうか?一部の人々はそれを見つけたと考えている一方で、他の人々はもう信じていないか、一人暮らしの生活を悪く思っていない、いや実際にはかなり良いとさえ思っています。今回インタビューに答えてくれたヴァイヒャートさんとライヒェンバッハさんもその中に含まれます・・・。 今回の放送は、上記の導入部のナレーションでスタートし、司会役のビーレンベルクさんがシングルの生活を実践している二人を自宅に訪ね、インタビューした内容で構成されています。シングルと言っても、いわゆる「根っからの独身主義者」というわけではなく、パートナーとの生活を経験した後で、今は一人で生きることを選択しています。 テキスト35ページにおいては、ライヒェンバッハさんの発言として、Alleinsein(「一人でいること」)は一種の状態であり、Einsamkeit(「孤独であること」)は感情です、そして彼女はEinsamkeitを知らないということが紹介されていますが、この言葉は私にはとても印象的であり、なるほどと納得した次第です。Alleinseinは客観的な「状態」であり、Einsamkeitは主観的な「感情」であるとも言えます。 ところで、47歳のヴァイヒャートさんは現在の一人での生活に満足していますが、番組の最後の方で語っている以下の発言からは、パートナーとの生活を完全には否定するまでには至っていないという印象を持ちました。「私は、パートナーに出会うことで人生を豊かにできると感じています。それは私にとってわくわくすることでもあります。・・・私が明日スーパーマーケットに行って、豆の棚の周りを歩いていると、そこに私の理想の女性が立っているかもしれません」という発言からもそれがうかがえます。 また、66歳のライヒェンバッハさんはヴァイヒャートさんとは少し異なり、現在では一人で生活することが最善であると結論を出し、それを実践しているようです。そして自分に必要なのはパートナーではなく、友人であると断言します、番組の最後の方で語っている以下の発言からもそれがうかがえます。「私にとって、友情は、今ではそうであると信じていますが、以前からも、どんなパートナーシップよりも重要で価値があります。すべてのパートナーとの関係は最初の興奮・高揚感の後にはいつも失望が訪れます。彼女の友人たちとは異なり、パートナーは時間とともにますます配慮に欠けるようになります」 それにしてもライヒェンバッハさんは、26歳の時に妊娠できないようにするために避妊手術を受けたことに私は衝撃を受けました。自分の人生で子供を持った家庭生活を想像できなかったためということが理由でしたが、まだ26歳で後戻りできない決断をしたことには驚きます。子供を持ちたくないということであれば他にも複数の避妊の選択肢があると思いますので、避妊手術までするという徹底ぶりには驚きます。女性が避妊のため手術まですることがドイツではどれくらい普及しているか分かりませんが、決して多数派ではないだろうと思うのですが・・・。放送を聞いた時のドイツのリスナーの皆さんの反応はどうだったのでしょうか。私と同様驚いたのか、それとも当然の決断だと思ったのか、興味が沸くところです。 さて、ライヒェンバッハさんは66歳、ヴァイヒャートさんは47歳と大分年齢も異なるわけですが、一人で暮らすことに納得しながらも彼らの考え方には違いがあるようです。しかしながら、そのような違いがある一方で二人に共通していると思ったのは、子供を持つことは考えられないという点と自分が強く引きつけられる興味・趣味を持っていることにあると思いました。 ところで、テキスト37ページにnach dem kleinsten gemeinsamen Nenner suchen (最も小さい共通の分母・基盤を求める)という興味ある表現とその説明として脚注にBei Brüchen steht unten der Nenner. Zum Addieren bringt man sie auf das kleinste gemeinsame Vielfache als neuen Nenner. (分数においては、分母は下にあります。足し算をするにはそれらを最小公倍数に揃えて新しい分母にします)という説明が記載されていました。Mathematik用語のNennerという単語の使われ方だけでなく、分数についての説明に興味を引かれましたし、ドイツ語での説明が新鮮に感じられました。分数計算のやり方については日本語では当然理解していることですが、ドイツ語を勉強している中でも普通は算数・数学用語は出てきませんので、おもしろいと感じました。これを機会に記憶しておきたいと思いました。尚、「分母」だけでなく、「分子」や「最小公倍数」のドイツ語訳についても、私は知りませんでした。「分子」は手元の辞書によりますと、der Zählerと表現するようです。 また、「加減乗除」についても一部私の知らない単語があり、調べたところ以下の通りです。「足し算」はdie Addition、「引き算」はdie Subtraktion、「かけ算」はdie Multiplikation、「割り算」はdie Division、さらに「かけ算」の結果の「積」はdas Produkt、割り算の結果の「商」はder Quotient、「余り」はder Restと表現するとのことです。またそれぞれの計算をするときの動詞もありましたが、ここでは割愛します。 K. K.