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Nr. 527 Februar 2025
さて、今回は「ドイツでの大きな墓地の新たな利活用」が話題になっています。
Deutschlandfunkでは、月曜日から金曜日まで„Tag für Tag”というタイトルの25分間のシリーズ番組を聞くことができます。副題の「宗教と社会に関する情報」から、この番組では宗教や宗教的なテーマを扱っていることがわかります。昨年8月7日には、葬送文化の変化が墓地にもどのように影響を与えているかについて取り上げられました。そこでは、エコロジー、つまり環境に配慮することについても扱われています。
以前は、死はすべての人にとって、宗教と結びついていました。しかしながら、教会に属さない人々の数が増えつつあります。以前は、ほとんどの埋葬地は教会墓地でした。それは、墓地は教会があるところにあり、教会の周りに配置されていたことを意味します。しかしながら、時がたつにつれて墓のために十分なスペースがなくなり、新しい墓地が都市の郊外に造られるようになりました。それらは主に教会の墓地でしたが、市営の墓地も加わるようになりました。
現在、ほとんどの墓は市の管理下の墓地にあります。しかしながら、教会の墓地連合ももちろんあります。例えば、「プロテスタント墓地連合Berlin-Stadtmitte」(der Evangelische Friedhofsverband Berlin-Stadtmitte)があり、その代表であるヴァーグナーさん(Herr Wagner)は46の墓地を管理しています。彼は既に墓地の面積を縮小しており、現在は236ヘクタールのみを管理しています。しかしながら、新しい墓地として必要とされるのは、おそらくその半分程度だろうと思います。なぜならば、葬送文化が変化しているからです。
誰かが亡くなると、その遺体は木製の棺に収められました。しかしながら、ますます多くの遺体が火葬されるようになり、その遺灰が骨壺に収められるようになりました。そのような骨壺は棺よりはるかに小さいため、骨壺を埋葬するための墓もずっと小さくなります。
以前は、どの墓にも墓石が置かれていました。しかしながら、骨壺の墓には、亡くなった人の名前や生年月日と死亡年月日が刻まれた小さな、平らな石だけが墓の上に置かれることが多いです。しかしながら、多くの人はもはやそれさえも望まなくなり、名前を刻まずに埋葬されることを望みます。また、一部の人は、骨壺を使わずに、自分の遺灰をただ海に散骨して欲しいと望んでいます。
現在、多くの墓地ではスペースが余っています。最も簡単なのは、確かに墓地を散歩を楽しむことができるような公園に変えることですが、常に美しい状態を保つためには、多くの努力が必要です。また、それにはお金がかかります。そしてそのお金は教会にはほとんどありませんし、市も持っていないことが多いのです。
人が木を剪定したり、道を整備したり、植物に水をやったり、さらには記念碑の保全のために何かをしたりするために、ヴァーグナーさんは、さしあたり墓地として使われていない墓地の敷地を、環境のために生態学的な利用目的で団体や組織に提供しています。このやり方で、彼の所属する墓地連合のいくつかの墓地では既に、(自然に近い形で植えられた)果樹園、ミツバチの巣箱、切り花の畑、それに加えて学校の庭園も造られています。
そのような土地では非常に多くの異なる植物が育ちます。またそこでは、さまざまな種類の動物が生息しており、その生態学的なメリットは墓地の塀を越えて広がっています。景観建築を専門とするある女性講師が次のように指摘しました。それらは古い緑地であり、空気が不足している都市では、新鮮な空気が入り込み、夏には都市の空気が冷却され、新しい地下水が形成されます。また、それらの緑地は、密集した建物環境では失われる動植物のための良好な生息条件を有しているといいます。
これらの土地は、気候保護や種の保護のために非常に重要です。また、多くの人はそこに果物や野菜が栽培されることも喜んでいます。墓地の敷地の多くの生態学的な再利用は、EU、連邦、州、そして市が特定のプロジェクトに資金を提供することでのみ実現しています。しかしながら、そのような支援金はほとんど、数年間に限定されており、その後、このようなプロジェクトを継続するための資金が不足してしまいます。どこかで緑地を設けるための資金を得ることは比較的簡単ですが、そのようなプロジェクトのために毎年、再び資金を投入することを約束しようとする人はほとんどいません・・・。
さて、今回課題及び放送で取り上げられている墓地の他の用途への利活用ですが、日本においては、私の知る限り、墓地の敷地を果樹園、ミツバチの巣箱、切り花の畑などに利活用するようなことは行われていないのではないかと思います。しかしながら、墓地以外の機能としても使われている墓地の事例がないかをインターネットで調べたところ、名古屋市の「みどりが丘公園」の事例が見つかりました。ここは初めから墓地と公園が一体となる形で計画・造成されましたが、この施設は、1988年に「緑と水に包まれた憩いとやすらぎの場を提供する」という目的で設立され、都市計画墓園として整備が進められたといいます。つまり、墓地と公園が同時に設計され、自然環境を保全しながら市民福祉の向上を目指したものとなっています。従いまして、今回の課題および放送で取り上げられた事例とは結果的には少し似ていますが、成り立ちが全く異なっていると感じます。その後のインターネット検索でも1988年に造成されたこの名古屋市の「みどりが丘公園」以外には事例が見つからないことを考えますと、今後も日本で墓地の多目的での利活用が増えていくかどうかはちょっと疑問だと思えます。環境保護意識がより高いドイツであればこそ、このような墓地の利活用が今後も拡大していくのでしょうか。
ところで、今回触れられている埋葬の形式についてですが、私が調べた限りでは、日本及びドイツ共に時代の移り変わりと共に変化してきたようです。ある資料によりますと、日本においては土葬が一般的でしたが、1970年代において火葬の比率が急速に上昇し、1975年には土葬と火葬の比率が逆転し、以降火葬が主流になったとのことです。因みに私の祖母が他界したのは私が大学生の頃でしたが、まさに土葬と火葬の比率が逆転したこの頃で、土葬でした。1990年代に祖父が亡くなったときは火葬でした。現在の日本では火葬の比率は99.9%とのことです。一方ドイツでは、1960年代において火葬の比率はまだ約10%程度でしたが、1970年代にかけて徐々に増えていったようです(1980年代後半、私がドイツに勤務中にバーデン・ヴュルテンベルク州の取引先の社長が亡くなり、葬儀に参列したことがありましたが、そのときは土葬でした)。ドイツでの埋葬の形式については現在、地域差があるものの、ドイツ全体では火葬の比率が約70%、土葬が約30%とのことです。火葬が増えてきているとはいえ、日本に比べると火葬の比率はまだ低いといえますが、今後さらに増えていくだろうと推測します。とはいうものの、ドイツでは宗教の影響が日本より大きいような気がしますので、日本の火葬の比率である99.9%までには至らないだろうと思われます。
また、墓の形式ですが、大雑把に言えば、日本では家族単位の墓、ドイツでは個人単位の墓が一般的であると聞いています。それぞれの国において歴史的な背景があるためそのような形式になったのだろうと思いますが、日本およびドイツのいずれにおいてもさまざまな理由から共同墓地も増えつつあるようです。日本においては、例えば、社会の少子化・多死化や家族の形態が変化するにつれて、墓を継承する苦労を子供たちに負わせたくないと考える人々も増え、経済的により安価にしたい、かつ環境にも配慮したい等の理由があるようです。また、特にコロナ禍以降は、自分自身の周りを見ても直葬(読経供養などの宗教儀式は行わず、親戚や知人の弔問を受けることなく、しめやかに家族だけで行う葬儀)や家族葬などのより簡素な形態が増えたような気がします。今回の課題でドイツでは名前を墓石に刻印しない事例があると言及されていますが、これにはちょっと驚きました。そこに誰が埋葬されているのかがわかりませんので墓の意味が薄れてしまうような気がするからです。もっとも、日本においても無縁墓では亡くなった方の名前を刻まない場合もあるようです。
日本では家族単位の墓が一般的ですので、少子化や核家族化の影響を強く受けた結果、墓の継承が困難になる事例が増えています。これを受けて近年のマス・メディアにおいても、「墓じまい」がしばしば話題になります。「墓じまい」に関してはドイツではどのような状況にあるのでしょうか。
今回テーマになっているFriedhofは、今までの私のドイツ語学習の中で何回かは見聞きしている単語であり、ドイツ勤務中にも何回かは道路標識として見ていましたが、「Friedhof=墓」としか認識していませんでした。今回この単語の語源が改めて気になりましたので、調べてみました。この語を分解すると、Fried + Hofとなります。武井香織元筑波大学教授が執筆したあるコラムによりますと、Hof は、もともとは「囲まれた土地」のことで、そこから「中庭」「農園」「(母屋や倉庫,家畜小屋などが中庭を囲んでいる)農家の屋敷」さらには「領主の館」「宮殿」を意味するようになった、とのことです。そして、FriedはFriedenと同じ意味のようですので、「平和」や「やすらぎ」です。つまり、Friedhofは「やすらぎまたは平和の庭」ということになります。従って、亡くなった人が安らかに眠る場所と言う意味で「墓地」になるのも理解できます。ただし、FriedはFriedenとは異なり単独で使用されることはなく、手元の辞書によれば、もっぱら„in Fried und Freud”(「平和と喜びのうちに」)という成句で用いられるようです。ウクライナとガザにおける戦争が終結し、„Wir leben heute in Fried und Freud.”といえる日が早く訪れることを願うばかりです。
その後、先生から、「Friedhofにはeingefriedeter Hof(「垣根を巡らされた土地」)という意味もあります」とのご指摘をいただきましたので、追記させていただきます。
今回はテーマとしてのFriedhofの利活用だけでなく、時代と共に変化する埋葬や墓の形式、さらにはFriedhofという単語の語源についても学ぶことができたと思います。
K. K.