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Nr. 426 Januar 2017
今回は、第二の人生を大都市ベルリンに移り住んで送っている年配女性たちがテーマです。放送と課題では、そうした2人の女性の事例がその背景や放送当時の状況と共に紹介されています。
まず一人目は、ズィークムントSiegmundさんという67歳の女性です。彼女はデュッセルドルフに程近いヒルデンHildenという小さな街で50年間を過ごした後、住んでいたテラスハウスを売却し、ベルリンに引っ越しました。そのベルリンには27年前既に、彼女の娘ベッティーナBettinaさん(放送当時45歳前後?)が移り住んでいました。今度は母親のズィークムントさんが娘のベッティーナさんのいる所に移り住んで来たというわけです。一方、ベッティーナさんは男友達と一緒に住みたいと思っていましたが、そのベルリンの90m²の古い住居はそれには小さ過ぎますし、彼女の19歳の息子フリッツFritzがベッティーナさんのところにまだ同居している上に、彼女の男友達にもまた息子が1人います。母親のベルリン引っ越計画は彼女にとっても好都合でした。そこで、ベッティーナさんこれを機会にもっと大きな住宅を購入し、自分たちが住んでいた住居は母親のジークムントさんに明け渡しました。
さて、ズィークムントさんが売却した家は、彼女が50年前(1965年、17歳?の時)両親と一緒に移り住んだものでした。ズィークムントさんが結婚したとき、両親はズィークムントさん夫婦に2階部分を使わせ、1階部分だけを自分たちで使っていました。彼女は、そこで娘ベッティーナさんを儲けましたが、そこで27年前(1988年)に夫も亡くなりました。当時彼女はまだ40歳の若さでした。そこでしばらくの間不動産仲 介業の事務所も構えていました。ズィークムントさんが一戸建て住宅付きの自分の土地を売却して得た資金の一部分を彼女の娘ベッティーナさんは、自分用の新築の住居を購入するのに充当したということです。
ズィークムントさんがベルリンにやって来る2,3週間前(2015年2月)に、ベッティーナさんは購入した新しい住居に移りましたが、ズィークムントさんが引き継いだ娘の旧住居の洋服ダンスには娘の衣類がまだ置かれ、食料貯蔵庫も空になっていませんでしたので、ズィークムントさんは腹を立てました。娘がベルリンに引っ越して以来、27年間、この親子は同じ街に住んだことはありませんでした。今後は彼女たちは互いにまたこれに慣れる必要がありそうです。ズィークムントさんの住まいとベッティーナさんの住居は、自転車でわずか5分で行ける距離ですし、歩いても10分位です。ある土曜日の午前中、ズィークムントさんはベッティーナさんとあるカフェーでコーヒーを飲む約束をしました。ズィークムントさんは娘が自分の工房で自ら製作しているアクセサリーを販売している店の前に自転車を止めます。娘を迎えに行くためにです。そのカフェーで娘と朝食を取った後、彼女は市場に行きます。しかしながらベッティーナさんにはやらなければならない事があります。イヤリング1ペアを仕上げなければならないのです。そこで母親に市場での買い物を頼むことになります・・・。ベルリンに移り住んでから3ヶ月経過しましたが、ズィークムントさんは、快適さを感じているようです。彼女にはこの大都市の雰囲気が気に入っています。
二人目は、もう2年前の73歳の時、シュヴァルツヴァルトの小さな街ショップフハムSchopfheimからベルリンに移り住んだラップRappさんです。彼女が住んでいたその街で夫は教師をしていました。夫妻はそこで40年以上も生活し、4人の子供を育て上げました。この土地は子供を育てながらの家庭生活には理想的でしたが、彼女には別の人生・生活が待っているような気がしていました。彼女のベルリンの住まいは、自分でインターネットで探したものでした。
ラップさんの4人の子供達の内2人もベルリンにいますが、彼女とは別の市区に住んでいます。ラップさんの孫は3人。男の子は4歳で、女の子は2歳と8ヶ月の2人です。時々その孫達を家に連れて来ます。その孫たちのためにラップさんは子供用の椅子やおもちゃさえ買い揃えていました。孫たちが自分の住まいで心地よく感じてもらえるようにとの配慮からでした。また、ラップさんはベルリンにやって来たとき、何か楽器の演奏、外国語それにヨガなどを習いたいと思っていました。しかしながら、最初の2年間にはまだそれを実現するには至ってはいないとのことです。
娘のレギーネRegineさんは芸術・美術史家であり、美術館・博物館でガイドをしています。ラップさんも時々、美術館・博物館に一緒に出かけます。ラップさんも展覧会に興味があるという理由もありますが、時折娘がガイドする間8ヶ月の孫娘の世話をするためだけに出かけるということもあるといいます。ラップさんは20年間もレギーネさんと同じ街には住んでいませんでした。今後ラップさんは、4人の子供の内2人が住んでいる場所、ここベルリンで歳を重ねるでしょう。その結果、2人の子供たち(レギーネさんと以下のヨハネスさん)がラップさんを支援することが可能となります。
ラップさんの息子ヨハネスJohannesさんには、息子と娘が一人ずつ(上記の4歳と2歳の子)います。ヨハネスさんは子供達がこの年齢の時祖母であるラップさんと一緒に多くの時間いられることはとてもすばらしいと思っています。というのは、経験、知識それにある程度の冷静さを備えた祖母の世代は、多くのことを孫たちに伝えることが可能であると考えているからです。
さて、今回紹介された2人の年配女性は共に、小さな街に長く暮らし子育てを終えていること、夫を亡くしていること、これから大都市での第二の人生もエンジョイしてみたいと思っていること、そしてその子や孫が既に長くベルリンで生活に基盤を持っていること・・・などの共通点があります。そのような年配女性にとっては、ベルリンは魅力的なのだろうと思いますが、平均的なドイツ人の場合(日本人の私が想像することには限界がありますが、敢えて想像した場合ですが)、彼女たちと似た環境に置かれても、彼女たちと考えを共有するドイツ人は少数派なのではないかと思います。やはり年配者にとっては、一般的に言って、今まで培ってきた人間関係を断ち切って大都市で新しい生活を始めることはリスクが大きいと考える傾向にあるのではないかと想像します。
また、放送から1年以上経過している彼女たちの近況はどうなっているのか興味があります。ズィークムントさんは当時まだ、ベルリンでの生活が3ヶ月程でしかありませんでしたが、現在は更に1年以上経過しています。彼女は引き続き娘のベッティーナさんとの程よい距離を保ちながら快適に生活しているでしょうか。また、当時ベルリンの生活が既に2年経過していたラップさんは現在は何か習い事をスタートしているのでしょうか。彼女たちの「その後」が気になるところです。彼女たちが大都市ベルリンでの第二の人生を謳歌できていればと思います。
ところで、6月(Nr.424)の課題において、再統一後の15年間でベルリンの人口はその約半数が入れ替わったことが話題になっていましたが、時期はずれるものの彼女たちも流入人口の内の少なくとも2人ということになります。彼女たちのように第二の人生をベルリンで謳歌しようとする年配女性の流入人口は実際どれ位の数だったのでしょうか。50代~70代の女性の人口動態統計である程度把握できるのではないかと思います。数千人単位ではないかもしれませんが、数十人という少ない人数ではないような気がします。ひょっうとしたら数百人単位ではいるかもしれません。少なくとも同様のことを実行した年配男性よりは多いような気がしますが・・・。
K. K.