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Nr. 432 Juni 2017
さて、今回は、学者の研究に関する不正行為(Forschungsbetrug)が話題になっていま
す。学者たちは知識を創造するものですが、これは独立した研究において完全なる透明さで行われなければなりません。そして、学者たちが互いに批判し合うことが必要です。しかしながらますます多くの研究結果が発表されることにより相互批判が妨げられている状況にあります。発表された研究成果の数は容易に確認することができますが、研究成果の内容を確認することはなかなか難しいからです。
現在医学および自然科学の分野だけで世界中では何と6万種類もの学術雑誌が存在し、そこでは1日に2万件もの学術論文が発表されているとのことです。誤りのある論文は時折、取り消された後で、無効とされますが、論文の発表から取り消しまでの間には既にその論文は他の学者の研究成果に取り込まれてしまっています。自然科学の研究成果は再現できるものでなければなりませんが、難しい実験ではしばしば誰も一連の実験工程すべてを進んで再度行うことを進んで引き受けたりしないようです。他の研究者の成果についいては誰もがまずはすべてが正しいと想定し、再度同じ成果にたどり着く目的のためだけには、これを引き受けようとは大抵誰も思わないとのことです。他の研究者の研究成果を確認することは、学術的成果とは見なされないという背景があるためのようです。
さて、学者による研究不正行為についてですが、この問題に詳しいオーストリアの専門家は殊に3つの類型を指摘しています。一番目は、誤っていると気づいていながら、つまり故意で、または実に不注意に、つまり過失によりある報告がなされるというものです。例えば、実際はその労を全くとらなかったにもかかわらず、あることを究明したと主張することなどです。2番目は、剽窃すること、すなわち他の人が発表したものをそのことに言及せずに盗用してしまうことです。第3は、ある研究者が自分の主張に合致している箇所だけを使用し、他の情報や実験結果をあっさりと省略するということです。このことは特に新しい薬品の効果を記載する場合にしばしば起きているとのことです。
社会科学においては質問用紙を使って多く作業が行われます。そこでは不正行為は特に立証することが難しいといいます。質問用紙は容易に改ざんできるからです。また質問用紙は、長期間保管する必要がありません。再度アンケートを行うのは高くつくといいます。不正行為が行われていると感じた者は、それを告発すべきです。しかしながら、そのようなことは専門家しか気が付きませんし、彼ら専門家は互いに知り合いです。ですが、匿名の告発については道徳的に非難すべきだとは思われていませんが、自分の名前を明示しない場合、非難の根拠がたぶん乏しいからだと考える人々もいます。一方では、匿名の非難はしばしばかなり重要なヒントになるといいます。
大抵の学者は教授ではありません。多くの学者は時限契約、すなわち、1年または2,3年などの限られた期間の契約しか締結していません。この期限内にプロジェクトを成し遂げなければなりません。このことは、実験を繰り返す時間がしばしば足りないことを意味し、そこではアンケートの結果にせよ一連の実験結果にせよ都合良く補足して完全なものにしてしまう誘惑が大きくなるといいます・・・。
さて、学者の研究に関する不正行為に関しては、私はここ数年に起きた二つの「事件」が思い浮かびました。一つ目は2011年のドイツのかつての国防大臣だったKarl-Theodor zu Guttenberg氏の博士論文盗用とその結果としての大臣辞任と議員辞職です。この件は、ゲーテの授業でも扱いましたのでよく覚えています。論文盗用疑惑が指摘された際、彼は否定していましたが、バイロイト大学から盗用を認定され、博士号を剥奪されるに至り、責任を取って大臣を辞任すると同時に連邦議会議員も辞職しました。かつて好感度が高かった議員で将来の首相候補とも目されていた人物の政界からの退場は大きな衝撃を与えました。二つ目めは、2014年の日本のSTAP細胞騒動です。これが真実であれば画期的な発見でしたので、発表時はもとより論文撤回時も日本のみならず世界的に大きなニュースとなりました。こちらの事件では有能な科学者の自殺者まで生む悲劇となってしまいました。
また、放送で触れている1997年に発覚したFriedhelm Herrmann氏の事件は当時、ドイツの学会に大きな衝撃を与えたようですが、私自身がドイツに対して関心が薄れた時期でもありましたのでこの事件のことを私は知りませんでした(日本のメディアでも報道されたとは思いますが)。
ところで、今回も語彙に関し私にとっては新しい発見がありました。それは、課題でも触れておりますが、Magazinに意外な意味があることを知ったことです。これまでMagazinは私にとっては「雑誌」がすべてであり、Zeitschriftとほぼ同義だとしか認識しておりませんでしたが、今回の課題を受けて改めて手元の独和辞書で調べて見たところ、「雑誌」と「ニュースショー」の他に「倉庫、貯蔵庫、(図書館の)書庫、(美術館・博物館の)収蔵庫」などの意味があることを知りました。また、手元の独々辞典ではこれらを裏付けるように、語義としてはreich bebilderte, unterhaltende oder populār unterrichtende Zeitschriftは当然として、他にLagerやAufbewahrungsraum für die Bücher einer Bibliothek oder für die nicht aufgestellten Sammelstücke eines Museumsなどの記載がありました。語源を調べてみますと、アラビア語のmakhāzin(「倉庫」)と記載されていました(ところで英和辞典にもmagazineの語源について同様の記載があり、16世紀に「倉庫」という意味で使用されたものが17世紀になって「雑誌」という意味が加わったようですが、ドイツ語においても同じような流れを辿ったのもと推定されます)。ということで今回は、Magazinという語に「倉庫」などの意外な意味があること、そして「いろいろなものを所蔵している保管庫」から派生し、「雑誌」や「ニュースショー」という意味になったらしいことを知ることができ大変興味をそそられた次第です。
K. K.