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Nr. 440 November 2017
さて、今回は、ドイツの貴族がテーマとなっています。
オーストリアでは1919年、貴族の称号(爵位)がすべて廃止されましたが、ドイツでは現在でも残っています。そして、その貴族の称号(爵位)は身分証明書やパスポートにも記載されています。しかしながら、貴族達は別の貴族達と話すときは、彼らは会話の中ではその貴族の称号(爵位)を互いに省略するといいます。貴族ではない者は、貴族達との会話ではまた大抵の貴族の称号を„von”という称号も含め単に省略します。そしてFrau Tucheltも今回のDr. Christine Reichsgräfin von Brühlとの対談の中で貴族の 称号を省略しました。Frau von Brühlは、週刊新聞„Die Zeit”にも寄稿したことがあ りましたが、その時自身でも„von”を省略したといいます。
貴族においては、厳格な、しかしながら常に余り明確とはいえない序列が存在すといいます。最上位に王様がいます。その王様により人は貴族の身分へ昇格させてもらうことができます。王様の下にはすべての貴族がいます。王様の下に王子達がおり、そして次に公爵、伯爵そして男爵達が来ます。しかしながら誰が誰の上の序列に来るかは、その貴族の家柄が既にどのくらい長く存在しているかにも依るといいます。
より格式が上位だったり、より格式が下位だったりする貴族の家柄が存在することは、しかしながらその貴族の家が使える財産にもちょっと関係します。それに加えて、その家族のメンバーが王宮でどの役職を務めていたかも要因となります。年配の貴族は若い貴族より序列は上位になります。また、貴族階級では常に男性達が女性達より上位に位置づけられます。男爵令嬢が公爵令息と結婚する場合、男爵令嬢は公爵夫人となります。男爵家にとってそのようなことは当然とてもすばらしいことではありますが、かつての男爵令嬢が今や属している相手の公爵家にとってはそうとは言えないようです。そして逆に公爵令嬢、女性公爵または王女が男爵と結婚する場合、このことは「格下げ婚」となるので多くの人が気の毒なこと、ひどいことだと思うといいます。
これらの身分の違いというものについては今日もなお、大抵の貴族は十分認識自覚しているといます。彼らは自分の家族の立ち位置を知っており、歴史的な背景も認識しています。かつて貴族達は今日の公務員のような役割を担っていました。ドイツ外務省では今日もなお多くの公務員が貴族階級出身です。これには歴史的背景があります。外国において外交官として国を代表した者は、その生活をできる必要があったといいます。今日ではすべての費用は国が負担してくれますが、かつては自前で行わなければならなかったといいます。例えば、馬車、馬車の御者それに馬を保有していなければなりませんでした、当時はこのようなことは大抵の場合、財産を保有していた貴族にしかできなかったからです。
貴族と一般市民との結婚はとても希なことでした。そして今日でも多くの貴族達は、貴族の配偶者もまた貴族であるべきだと考えているといいます。そのようにして結婚した女性は早く多くの子どもを授かるべきであり、大きな家を継承するだけでなく、嫁ぎ先のこの貴族の家の他のメンバー、つまり夫の両親だけでなく、例えばその城の食卓で同席している未婚の叔母に対する責任も引き受けるといいます。
貴族達は自分達がどのような家柄に属しているかを実によく認識しており、誰もが誰がその家柄に属しているか、そして誰が属していないかをかなり正確に知っているといいます・・・。良き時代には一緒にパーティーを開きました。また親戚の一人が他界した場合は、一緒に悼みます。親戚関係は、人が頼りにできるネットワークとなります。
貴族の間ではお互い親近感を抱いているといいます。洗礼式のお祝いには大体300人がやって来ますし、葬式には500人が足を運び、そして結婚式に至っては1,000人もが集います。結婚適齢期の若者が誕生祝いをしたり、社交の夕べに集まったりする場合、100人以上の若者がそこで出会います。しかしながら、貴族達は普通、ダンスを習うために市中の学校には通わずに、城の中でダンスを学び、そのようなダンス講習会は2,3日続くといます・・・。
ところで、私が学生時代にドイツ(リューネブルク市)のゲーテインスティテュートで受講していた際、同校の計らいでクリスマス前にある家庭に招待されたことがありました。私は、研修員としてゲーテに派遣されていた日本の銀行員の方1名と一緒に伺いました。招待を受けた家は、弁護士宅だったと記憶していますが、かなり大きな一軒家でした。私達は玄関に招き入れられると、とても広々とした空間を感じながら、2階に通されましたが、その2階に繋がる階段はまるで欧米の映画に登場するような広くて非常にゆるやかな勾配のものでしたので、目を見張りました。その招待されたお宅は、アパートやホームステイしていた一戸建て住宅とは広さ・大きさの点で明らかに違っていたことを覚えていますが、更にこれが貴族の城の場合には、「広い」というよりさらに「広大な」大邸宅ということになるのでしょうか。また、その後時は移り、かつてドイツ勤務中に一度宿泊した古城ホテルは全体としては確かに大きかったですが、「探検」したわけではありませんでしたので、今では宿泊した部屋のおぼろげな記憶しかありません。そう言えばその部屋の照明は暗めで少々不気味な印象を持ったのを思い出しました。
上記に記載しました通り、ドイツの外交官には現在でも貴族出身者が多いのには歴史的な理由・背景があるとのことでした。すなわち、かつて外交官は馬車、御者それに馬を自費で保有できるだけの資産が必要だったという点にはなるほどと納得すると同時に、とても驚きました。日本でも現在はともかくかつてはそうだったのでしょうか。
また、貴族の多くは現在も尚、結婚は貴族間が望ましいと考えていることも興味深い点でした(また貴族間の結婚により、格が上がる貴族側と逆に格が下がる貴族側が存在するというのも改めて認識しました)。現在の日本でも、元貴族(華族)の場合には分かりませんが、家柄の差が大きい両家間での結婚に対しては否定的な考えを持つ人々も根強く存在することについては、テレビドラマでも時折放映されますので、似た点があると思いました。
放送でも触れていましたが、貴族の居住地である古い城の屋根を修繕・修復する場合、一般の戸建て住宅とは異なり、長期間が必要であり、その費用が莫大になるということですが、すべて自前で行わなければならないということです。これは相当な財政的負担となるだろうと思いました。城を住まいにするということは、そのような莫大な維持費費の負担と裏表にあることを改めて認識しました。また、住んでいる城から学校までの通学路が長く、大抵は歩ける距離ではないといいますし、城の中でも廊下が長く部屋までの距離が遠いといいます。比較的長い距離を歩くことに関しては抵抗を感じないドイツ人という印象を持っていますので、通学路にしても部屋間の移動距離も私の想像が及ばない距離なのだろうと思います。
以前Nr. 427のコメントにかつてのドイツの子会社勤務時代の同僚にvon Gansさんという方がいたことを記載しましたが、今回も彼のことを思い出しました。彼も貴族出身だったかもしれないと思うとその風貌や立ち居振る舞いもそのように見えてしまいますから不思議です。
さて、ドイツも共和国ですので、「爵位」が残って身分証明書やパスポートの氏名に記載されるとしても法律上の特権はないのだろうと想像します。一方それとは別に一般のドイツ人がそのような貴族の名前に接した際に、どのような印象を持ったり、反応したりするのでしょうか。もちろん個々人で異なるのは当然ですが、最大公約数的にはどのような印象・反応なのか私としては興味があります。日本では戦後、貴族(華族)は、法の下の平等を定めた日本国憲法の施行により廃止され、公的書類に記載されることもありませんから、果たして誰が元貴族(華族)かを明示する機会もありません。従って、日本ではまず、元貴族(華族)に対して特別な印象を持ったり、反応したりすることはないのではないでしょうか。もっとも、たまに元貴族(華族)を騙る詐欺事件も発生しますので、元貴族(華族)の肩書きの威力が全く通用しないわけではなさそうですが・・・。
さて、今回の放送では、上記に記した内容以外にもドイツの貴族に関して今まで私の知らない数多くの意外な事実の一端が紹介されており、驚きもしましたし、興味深かったです。ところで、今回のテキストで登場した強い否定の熟語表現„nicht im Geringsten”については、かつて習ったはずでしたが意味を忘れていました。ところが、偶然にもこの表現がNHKラジオドイツ語講座応用編11月のつい先日の放送で紹介されていました。ここではDas interessierte mich nicht im Geringsten.(「そんなことに私は全く興味がなかった」)という例文が掲載されていました。これで今後はこの表現の意味を忘れることはしばらくないと思います(尚、この11月号では„Berlin Stadt im ständigen Wandel”(「ベルリン――変転する都市」)というタイトルでいわゆる「黄金の20年代」の文化を扱っており、中々興味深い内容となっています)。
K. K.