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Nr. 460 September 2019
さて、今回は適正な賃金(gerechter Lohn)がテーマとして取り上げられています。
働いて得る報酬は重要ですが、より多くの報酬よりより多くの自由な時間が更に重要であると考える人もいます。ある労働組合は経営者側との労働協約において、交代制勤務労働者、幼い子を持つ両親および家族を介護する労働者は、今年、より多くの報酬を得る代わりに8日間の追加の休暇を希望するかどうかを決めることができることを合意していました。これが金属・電気機械産業で働く労働者の内の大きな比率を占めるかどうかは残念ながら明確ではありません。というのは、この二つの産業部門で働く400万人の内、どのくらいの人数が子育て、交替制勤務または家族の介護という3条件の内の一つを満たすか分からないからです。しかしながら、かなり多くの人たちが該当します。というのは、より多くの報酬よりより多くの休暇を望む人が20万人もいるためです。
このように多くの人がより多くの休暇を取得できることをこの労働組合は実現しました。なぜならば、その産業の就業人口400万人の内、230万人がその組合員であるからです。報酬においては、多くの人たちにとっては、できるだけ多くの金を得ることというのは、適正な賃金が支払われることより、重要性が低いです・・・。
シュヴォホー(Schwochow)氏は、しかしながら、全日制託児所(保育園)の保育士の平均的な初任給が2,600ユーロに満たないこと、プロセス工学または化学のエンジニアの初任給が倍額にも及ぶのは適正ではないと考えています。その一因としては、エンジニアに対する需要が供給よりずっと大きい、すなわち必要とされるより少ないエンジニアの人材しかいないことがあげられます。しかしながら、教師、保育士および老人介護人もまた、必要とされるだけの人数が確保されていません。
旧東ドイツでは人の収入は国家が決めていました。シュヴォホー氏は、70年代、工業分野の若き熟練工として税込みで月に650東ドイツマルクの収入を得ていました。その金額は手取りでも600東ドイツマルク以上になりました。というのは、税金、社会保険料などは、旧東ドイツでは多くの金額が控除されることはなかったからです。その企業ではライヒスバーン(die Reichsbahn)、すなわち東ドイツの国有鉄道向けの信号設備を組み立てていましたが、時間外労働により月額200マルクほどが追加されていました。彼の上司は、時間外労働なしで800マルクの収入を得ていました。また部門長エンジニアは1,100マルクを得ていたが、それと同じくらいの収入を病院勤務医の兄が交替勤務加算手当込みで得ていました。週末加算手当は別に支払われていました。
彼は熟練工という職に留まらず、5年間演劇学を大学で学び文芸部員となりました。しかしながら、それはベルリンではなく、テューリンゲン州の田舎のある劇場においてでした。そこでの収入は工場勤務時代よりずっと少なかったですが、仕事のきつさもより少なくて済みました。しかし、彼が長期間の学業を収めたのだから、もっと稼げて当然だったという人も彼を知る人の中にはいます。
名前を名乗ることを望まなかったメディア企画担当の女性は、3年後には年金を受給しますが、従って多くの職業経験を積んでいます。彼女は2004年まではフルタイムの仕事をしていましたが、税込みで2,700 ユーロの月収がありました。その後会社を移りました。この職種においては48歳という年齢では引き続き常勤職につくことは難しかったのです。そこでは今、彼女は従前の給料の2/3しか得られていません。その会社は、経営者団体に所属しておらず、従って労働協約を遵守する必要が無い小規模企業であるため、休暇についても彼女は労働協約に定められている年間30日ではなく、年間24日しか取得できませんし、休暇手当もありません。
リービッヒ(Liebig)教授は、社会科学者であり、既に長年に亘り「適正なこと・公正性」というテーマを研究しています。同教授は、ドイツで支払われている報酬における格差が大きすぎると思っています。医師おいていえば、例えば、放射線医は小児科医の何倍もの収入を得ています。リービッヒ教授は、ドイツ経済研究所の役員としての自分の収入を他の教授たちの収入と比較することになるのと同様に、医師はその収入をバス運転手の収入と比較するのではなく、他の専門分野の医師の収入と比較するだろうという意見です・・・。
さて、一般的に他の職種にくらべ医師の収入は多いというのは想像通りですが、その上で放送・課題においては医師の中でも専門分野の違いによる給与の格差が大きいことが指摘されています。例えば小児科医の収入と放射線科医または外科医の収入の差が相当大きいということです。ここでちょっと私には意外に感じられたのは、例として小児科医と外科医の比較が挙げられているのは容易に理解できるとしても、私には余り一般的とは思えない放射線科医が事例として挙げられていることでした。小児科と比較するのであれば、外科医の他であれば、内科医、歯科医、産婦人科医、精神科医等の医師のほうが放射線科医に比べ、比較対象にする専門分野の医師としてはより一般的であるように私には思えます。放射線科医は、皮膚科医、眼科医、耳鼻咽喉科医などと同様、個人的にはかなり特殊な印象を受けます。ドイツでは放射線科医は比較対象とされるほど一般的なのでしょうか。やはり、X線を発見し、第1回ノーベル賞を受賞したヴィルヘルム・レントゲン(Wilhelm Röntgen)からの連想が強く働く結果でしょうか。
また、日本でも放射線科医の給与が小児科医の給与より高いかどうかまでは分かりませんが、立場または位置づけという観点では外科医等に比べると放射線科医の方がやや低く見られているということも複数の本で読んだことがあります。この点もドイツではおそらく事情が異なるかもしれません。今回改めて調べたわけではありませんが、従来から日本では医師の収入の差ということでは、医師の専門分野による差より、むしろ開業医と勤務医との間の収入の差が取り上げられることが多いように感じます。
さらに日本では、医師の給与という点では、無給医(無給で働く医者)の問題が昨年秋、ニュースで取り上げられて以来話題となっています。今年6月、文部科学省の調査によると、大学病院を中心に、2,000人以上の無給医の存在が明らかになりました。実態はこれを上回るという指摘もあります。ドイツでもこのような制度は存在するのでしょうか。別の機会にまた、調べてみたいと思います。
さて、放送において、「絶対的公正であること、適正なことは存在しない」(Es gibt keine absolute Gerechtigkeit)と指摘されていますが、その通りだと思います。大抵は他者との比較において判断しているのだろうと思います。自身の在職中を振り返ってみても、同役職・概ね同じような年齢層の中で相対的に評価された結果、給与査定が行われてきたように思います。そしてそれがより適正・公平に実施できるように、年度初めに、具体的な目標設定がなされ、期の終わりにその目標の達成具合を自分自身及び上司により評価されていました。これとて必ずしも正確というわけではなかったとは思いますが、より客観的に評価し、より適正・公平に査定されるためには、より良い方法だったろうと思います。
一方、一般の会社員には馴染まない制度ですが、成功報酬や成果報酬というのもあります。これは成功をしたときまたは成果を出したときにのみ、報酬を得られるという制度ですが、ある意味では適正・公平であると言えます。ただし、この場合には、他との比較という相対評価ではなく、成果または成功に対する絶対評価となります。
ところで、放送によれば、ドイツ人の4人中3人は自分の給与が適正・公平に支払われていないと思っているということが紹介されていますが、日本ではインターネットでも資料が見つけられませんでしたので比較はできないものの、私の実感としてもこれよりはそのように思っている日本人の割合はより低いのではないかと思います。ただし、非正規労働者は正規労働者に比べて給与が低すぎるという指摘は日本でもしばしばなされていますので、非正規労働者の多くは自分の給与が適正・公平に支払われていないと感じていることが想像されます。
放送及び課題の中でエンジニアの初任給が著しく高額になるの一因として、エンジニアに対する需要が供給よりずっと大きいことが挙げられていますが、人手不足を背景とした日本の労働市場でも似たような例が最近のニュースで流れました。例えば、衣料品通販サイトの企業が人材募集にあたりアルバイトの時給を最大30%引き上げ、2,000人を新たに募集すると明らかにしましたし、大手衣料品企業は2020年春入社する新入社員の初任給を現在より約20%引き上げるなどの新聞記事が記憶に新しいです。一方では放送・課題でも取り上げられている通り、保育士や介護士の給与が低いことが指摘されています。これは日本でも言われていることであり、そのため保育士や介護士不足の一因となっています。介護する人材や保育士に関しては、現場で人材が不足しているにもかかわらず依然として賃金アップによる人材確保が進んでいるという情報を聞きません。日本でもこの分野では、ドイツ同様、需要が供給を上回っていても十分な人材確保ができない状況が続いているようです。政治や行政機関の早急の取り組みが待たれるところです。
今回登場するgerechtという単語は日本語にするとき、ちょっと悩ましいと感じます。テーマとなっている賃金・や給料の場合は、「適正な」が適切な日本語ですが、それでも他の人の給料と比較をする場合は、「適正な」より「公平・公正」がより妥当だと感じます。また、本テーマの直前に収録されているニュース(メルケル首相がドイツ人に向かって女性の権利拡大を呼びかける)においては以下のような文があります。
…eine gerechte Gesellschaft sei auch zukunftsfähig. この場合には、やはり「適正な」社会より、「公平・公正」な社会のほうがより適切だろうと思います。その他にも、「理由のある、当然の」、「ふさわしい」等の日本語が適切な場合もあるようですので、本当に悩ましいと思います。
K. K.