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Nr. 482 Juli 2021
今回は、1人の若き女性フリージャーナリストが自分がまだ母親の胎内にいた頃、その母親が別れた相手、つまり父親を捜すことが話題になっています。
クンツさん(Frauz Kunz)は27歳のフリージャーナリストです。つまり常勤ではなく、雇用契約も締結していません。チューリッヒで働き、とりわけ定期的にスイスの雑誌に寄稿しています。クンツさんは、子共のころ宇宙飛行士になりたいと思っていました。未知の地域に足を踏み入れ、その地域を踏査したかったからです。
クンツさんは、父親がいなくて寂しいと思ったことは全くありませんでした。クンツさんにとっては父親とは、元々自分が持っていなかったもの、知らなかったもの、従って、いなくて寂しいという意識もなかった存在でした。それににもかかわらず25歳の時、自分の父親だった人間を捜し始めました。父親と母親の恋愛関係は、わずか3ヶ月しか続きませんでした。母親が父親の元から去ったとき、後にニーナ(Nina)と名付けられたその娘、つまりクンツさんは、やっと3cmの大きさになったばかりで、体重はひょっとしたら4gだったかもしれません。
子供が父親なしで成長すると、人から気の毒に思われます。しかしながら、クンツさんは、父親なしで成長することを、特別まれなことであったり、異常なことであったり、または好ましくないことなどとは決して感じなかったといいます。幼稚園では他の子供達はそのようなことに興味がありませんでした。しかしながら、クンツさんが学校に通うようになると、両親のための授業参観日がありましたが、いつも母親が来ていました。すると、クンツさんは他の子供達からなぜ父親は来ないのか尋ねられたことがありましたので、単に父親がいないからと答えました。これを聞いた他の子供達はクンツさんに同情しましたが、この同情がクンツさんを困惑させました。なぜなら、他の時は〔それ以外においては〕子供達がクンツさんに対ししばしば全く親切とはいえなかったからでした。クンツさんは小柄で、痩せており、そのことで時々遊びの仲間に入れてもらえませんでした。
クンツさんの母親は当時、まだ大学生でしたし、お金を稼ぐために喫茶店や居酒屋でアルバイトをしていました。父親は自分が原因となって生まれた子供に対する養育費を全く支払いませんでした。クンツさんの母親は娘のクンツさんと一緒に大きな住居共同体に住みました。その結果、そこには、クンツさんの母親が大学の講義を聴いたり、喫茶店でお金を稼いだりしたとき娘の世話をしてくれる誰かが常にいてくれました。クンツさんの母親は、保育園で娘を引き取るために喫茶店の仕事を他の同僚たちより早い時刻にやめなければならなかったとき、しばしば気がとがめたものでした。
ニーナにとっては、母親と祖母が両親の役割を果たしていました。その祖母は二人の娘、すなわちニーナの母親と叔母ですが、70年代に同じように女手一つで育て上げました。祖母はニーナのためにいつも助けてくれました。従って、父親がいなかったことはニーナにとって重要性を持ちませんでした。それ父親の不在は、ニーナが自らの想像力の中で希望やイメージに従って満たすことができるひとつの空席・何もないスペースでした。
しかしながらいつかあるときに、それにもかかわらず、次第に謎解きをすべき時が来ているのではないかと考えました。他人事として興味を持つことなく、どうしたら子供をこの世にもたらすことができるかを理解できなかったことが生物学的な好奇心になりました。クンツさんは、父親が連絡を寄こすことを邪魔している可能性があるものは何なのかについて、繰り返し自問しました。このことについても是非謎解きをしたいと思いました。母親からは父親の名前と生年月日を聞いていましたし、父親が他の土地の出身であることと、カメラマンとして働いていたことは知っていました。
クンツさんはインターネットで父親を捜します。そして難民問題を扱う会議に関するあるインターネットのサイトで彼の名前を見つけます。そこには彼が撮影した写真もありました。クンツさんは、この会議の主催者に問い合わせ、クンツさんからの伝言を父親であるそのカメラマンに取り次いでくれるよう依頼します。しかしながら、そうしてみると、クンツさんは、自分が本当にこの人と知り合うことを望むのか、その人がクンツさんにとって、自分の想像力によって好きなように満たすことができた空席・何もないスペースといいう位置づけのままであるほうが良くなかったか、と自問します。
しかしながら今やそれは既に遅すぎました。なぜならば、クンツさんのインターネット経緯の伝言に対する彼からの返答がクンツさんの携帯電話に着信したからです。それは12行のものでした。クンツさんは同じ日に返信しました。二人とも互いに書き合いましたが、クンツさんにとって不快だったのは、父親なくして育つことはいかにクンツさんにとっては困難だったに違いないかを彼が繰り返し書いてきたことでした。彼は、クンツさんの他にも、父親なくして育ち、父親を捜した若い女性を何人か知っているといいます。しかしながら、クンツさんの場合、父親がいなくても全くと言っていいほど寂しいとは思わなかったのです。当時何が起き、そのことは父親にとってどうだったかについては、クンツさんは返事をもらいませんでした。これからそれがどうなるかについては、クンツさんには分りません・・・。
ところで、クンツさんは、1993年にスイスで生まれましたので、27歳(番組放送当時)です。チューリッヒ大学で社会経済史(Sozial-und Wirtschaftsgeschichte)を学び、2017年よりコラムニストおよびジャーナリストとして活動しています。2018年および2020年にはスイスの年間優秀女性コラムニスト(Kolumnistin des Jahres)として選出されました。
さて、クンツさんのその誕生にかかわる話ですが、テキストによりますと、クンツさんの母親が父親である男性と関係を結んだ日に経口避妊薬を服用したものの、胃腸炎(感染性下痢)のため嘔吐してしまい、薬効がなかった結果、クンツさんが生まれたということを母親から聞いているとのことです。従って、クンツさんによれば、現在自分が存在しているのは、この胃腸炎(感染性下痢)のおかげであると少し笑いを交えて語っています。そしてクンツさんの母親は父親からその後養育費の支払を受けなかったとされていますが、そもそも父親がクンツさんの誕生を知っていたのでしょうか。クンツさんの母親から父親に対して、クンツさんが生まれたことを伝えていたのかどうかテキストでは明確ではないように思いますが、もしそうだとすれば父親からの養育費の支払いを受けることは難しかっただろうと思います。一方でもし母親が父親に対しクンツさんが生まれたことを告げていたのに父親が養育費を払わなかったとすれば、スイスでの法律に基づいた責任の所在に関しては正確なことは分かりませんが、おそらく、当然父親に支払義務が生じるのではないかと推測します。
また、クンツさんの母親が父親のもとを僅か3ヶ月で去った理由は何だったのでしょうか?私は当初父親が母親のもとを去ったと想像しましたが、逆に母親から父親のもとを去ったことが分かりました。その理由についてはテキストにおいても言及されていないため分かりませんが、何か特別な理由があったのか、それとも若さ故に一時的に燃え上がった恋愛感情が消えただけなのか分かりませんが、いずれにしても、その後生まれたクンツさんには結果として初めから父親がいなかったわけです。その父親なくして育ったことについて、全くまれなことであったり、異常なことであったり、または好ましくない(seltsam, außergewöhnlich oder schlimm)とは思わなかったと語っていますが、これには驚きました。
テキストおよび課題によれば、クンツさんの祖母も70年代に女手一つで二人の娘、つまりクンツさんの母親と叔母を育てたということです。70年代といえばまだ、女性が1人で子育てをするのは現在よりもさらに困難を伴っていた時代だと思われますが、その様子を直に見ていたはずの母親も祖母と同じ険しい道を選んだわけです。祖母の生き様を見ながらもそれをむしろ肯定的に捉えていたのでしょうか。それとも単に短慮や成り行きまかせただけだったのでしょうか。
クンツさんは、当初父親捜しを始めた時、まず警察に相談に行ったところ、私立探偵事務所へ行くように助言されました。そこでチューリッヒに事務所のある47箇所もの私立探偵事務所の中から一番気に入ったところに相談をし、見積もりを依頼したところ、9,000スイスフラン(約108万円)の費用がかかることが判明したといいます。フリージャーナリストとして簡単に支払える金額ではなかったためと、自分の仕事柄インターネットを使った調査には馴染みがあることから、自らの手で父親捜しを行うことにしました。グーグルでの検索というのもインターネットの発達した現代だからこそ可能な手段だと思いますし、クンツさんの調査能力も生かせる手段だと思い、この点は大いに納得できました。
私にとってスリリングな場面だったのは、何と言っても父親からの最初の返信があった時です。父親は25年ぶりの娘からの知らせに対し喜びと驚きで応答しました。ところが、その後のメールのやり取りでは、父親なくして育っことはいかにクンツさんにとっては困難だったに違いないかを彼が繰り返し書いてきたことから次第に不快な気持ちになりました。私としてはクンツさんと父親とのメールのやり取りでは小説を読んでいるときのような感情移入があり、内心ハッピーエンド(ein Happy Endまたはein glückliches Ende)を期待していたからでしょうか、期待したものとは違った結果となり、私は正直、残念だと思いましたし、少々失望しました。今回の放送が行われたのが2020年5月でしたから、ちょうど1年が経過したことになります。クンツさんと父親との関係はその後の1年でどのような展開を見せているのでしょうか。クンツさんが不快の念を持ったまま連絡が途絶えてしまっているのか、何か感情面での納得感が得られているのかどうか、また、いずれの展開をたどっているにせよ、そのような状況に対してクンツさんの母親は何を思い、どのように感じているのかなど、他人事ながら気にかかる点がいくつかあります。
さて、新型コロナワクチンの接種が世界の各国に比べ非常に遅れている現在の日本ですが、先日ワクチン開発者であるバイオンテック社のドイツ人夫妻の研究者が2021年3月にドイツ連邦共和国功労勲章(Bundesverdienstkreuz)を受章したとのニュースに接しました。通常ワクチン開発には8~10年かかるところをプロジェクト名であるLichtgeschwindigkeitの通り何と1年で成功させたこと、またこの夫妻はトルコ系移民家庭の出身であることなど初めて知り、驚きました。加えて、バイオンテック社は2008年設立の非常に若い企業とのことです。また、余談ですが、ドイツでは勲章をネットオークションなどで購入することができるようですが、正規に受章した人以外は身につけることは許されないということも知りました。
K. K.