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Nr. 514 Januar 2024
さて、今月は「ヨーロッパの中世」が取り上げられています。
ヨーロッパにおいて今日、中世と言う場合、紀元500年と1500年の間の時期を指します。ルネッサンスにおいて既に14世紀から、その前の時代を中世と呼び始めました。というのは、古代とルネッサンスから始まる近代との間の過渡期と感じるからです。フランス語の動詞renaîtreは、reという接頭辞(ドイツ語ではwieder「再び」を意味します)と動詞naître(ドイツ語ではgeboren werden「生まれる」を意味します)から成っています。
ルネッサンス時代とは異なり、今日多くのドイツ人は中世に魅了されています。彼らは、この時代について情報を入手するために書籍を買ったリ、この時代を扱った映画を見たり、騎士の試合に参加したり、中世の市場に足を運んで当時のドイツの生活を体験したりしています。
これらの中世の市場では、当時何を食べていたかを試食できるブースがあります。職人たちは、当時の仕事のやり方を披露し、鷹匠は鷹と一緒に狩りに出かける方法を示します。多くの人々が中世の生活を体験するために、一日または週末だけでも当時の扮装をします。子供たちは弓矢と盾を持ち、多くの女性は長いスカートを着用し、髪に花の冠をつけています。こうした活動は多くの人々に楽しみをもたらし、明るい雰囲気が漂っています。
中世が暗黒の時代であり、教会が全能で不安・恐怖を広め、女性は何も言えず、多くの女性が魔女として焼かれたという考え・イメージは、今でも尚存在しています。これは部分的には正しいです。しかしながら、女性が魔女として迫害され、火刑に処せられたのは、主に16世紀と17世紀、つまり、中世ではなく、近代初期と呼ばれる時代に起きました。
中世の女性たちは、単に母親や主婦、または修道女であるだけでなく、戦争にも参加したり、スパイ活動を行ったり、盗みを働いたりし、商業的な成功を収めることもありました。多くの人々が中世においては清潔さにあまり重きを置かなかったと考えていましたが、今では実際には大抵の人が定期的に入浴していたことが判明しています。修道院の修道士たちは、修道院で身体の清潔さにも気を配っていました。つまりそれは単なる清潔さだけでなく、食事の際にも手を洗うことを意味していました。
中世の歴史を専門とするある女性教授は、現在の多くの人々が想像しているほど、当時の人が実際に多く働いていたかどうかをちょっと調査したことがありました。彼女は、私たちが持っているイメージが誤っていると考えており、中世においては週5日間の労働が普通であり、これが宗教改革時代の間になってようやく廃止されたと解析しました。宗教改革時代になって初めて、人々はより働き始めたといいます。
13世紀初頭に最初の大学が複数誕生しました。それまでには職業教育の場所や学問の高等学校が存在していましたが、新たに設立された大学は独自の法的地位を有し、教員と学生の共同体として特別な憲法を持っていました。これらはそこから発展した非常に複雑な機関でした。
10世紀は長い間、暗黒の世紀だと見なされていました。しかしながら、中世の歴史を専門とするある教授は、現在ではこれが客観的な説明ではないことを確かめ、単にこの時代については特に知識が少ないことを意味しているに過ぎないと指摘しています。この時代についてはほとんど記録が残されていません。この時代の歴史を再構築するためには、情報源が余りに少な過ぎました。
いずれにしてもこれはヨーロッパにあてはまります。何かが時代に合わないで、古風で時代遅れに人に感じられる場合、今日も尚時々、「それは全く暗黒の中世だ」というようなことをいいます。しかしながら、恐らく当時はそれほどひどいものではなかったでしょう。既に1521年に、一人の裕福な商人がアウクスブルクに困窮者のための住宅団地を建設させました。これは世界中で最も古い現存する社会住宅の一つです。困窮した人々はそこで年間の家賃としてわずか88セントしか支払いませんが、毎日、この住宅団地の創設者らのために祈りを3回捧げなければなりません・・・。
さて、今回の放送・課題において「ヨーロッパの中世」に関して大変意外で驚いた点が多々ありますが、特に私の印象に残ったのは以下の三つです。一つは、ドイツでは現在、中世ブームが起きているとのことです。また、もう一つは中世に対するイメージが覆されるような研究が発表されていること、そして最後は中世の「週五日労働制」です。
最初の中世ブームですが、中世の市場がドイツの至る所で頻繁に開設され、多くの人が中世の疑似体験をするためにやってくるといいます。私がドイツの子会社で勤務していた1986年~1991年の間にはそのような話は聞いたことがありませんでしたが、私が気づかなかっただけかもしれませんし、その後起きた現象なのかもしれません。いずれにしても、現在そのようなブームが起きていることに対してとても興味が沸きました。何がきっかけになってそのようなブームが起きているのでしょうか。また、中世に対するイメージですが、私自身も「中世=暗黒の時代」と思い込んでいましたので、今回の放送・課題で紹介された諸事実は、女性の担っていた役割も含め非常に新鮮に映りました。さらに、当時は「週五日労働制」が一般的であったものの、宗教改革によりこれが廃止されて人々がより働くようになったとのことです。プロテスタントの思想が職業労働を積極的に行う精神を育んだことを考え合わせると、辻褄が合うと思いましたし、納得がいきました。今回の課題・放送を通じて私の乏しいヨーロッパの中世に関する知識も多くの点でアップデートされたような気がします。
ところで、今回登場する「フッゲライ(Fuggerei)」ですが、半世紀近く前の学生時代にドイツ各地を旅行していた際に一度訪れたことがありました。その数年前、高校生時代の世界史の授業において、このフッガー家がイタリアのメディチ家と共に15世紀に富を背景に力を持ってきたことを学んではいましたが、フッガー家に対して特に強い関心や何らかの目的意識があってのことではなく、アウクスブルクを訪れる際には見学すべきところとして当時の旅行案内書で紹介されていたからでした。当時はともかく旅行案内書を手がかりにその場所に何とかたどり着き、現場では辞書を片手に「フッゲライ」についてドイツ語の説明書きを読んだことを思い出しました。「フッゲライ」については、その後アウクスブルクが話題になった時にちょっと思い出す程度でしたが、今回、改めていくつかのことを知ることができました。
例えば、入居できるのはカトリック教徒に限定されていることや「フッゲライ」が貧しい人のための社会的住宅であるとしても、年間の家賃が88セントと無償同然で入居できることなどです。さらには、現在も尚「フッゲライ」は機能しており、現在150人ほどが住んでいるようです。また、放送や課題では「居住者は1日に3回祈り捧げる」とありましたが、どのように祈るかまではよく理解できませんでした。その後Wikipediaのドイツ語版をチェックしたところ、創設者とその家族に感謝と敬意を表すために、主の祈り、信仰告白、アヴェ・マリアを日常的に唱えているということが分かり、納得できました。それにしても16世紀に創設された困窮者のための住宅が現在も尚、存続していることには驚かされます。
K. K.