Kommentare zu
Nr. 538 Juni 2026
今回は、子供たちの遊び場が話題になっています。
ヘニングスさん(Frau Hennings)は、18世紀にこう語ったドイツの作家シラーの言葉を引用しています。「人間がまさに人間であるのは、遊んでいるときだけである」。大抵の人は遊ぶことが好きですが、この番組においては子供たちの遊びだけが扱われています。地方では、子供たちは自分でどこで遊びたいか、何をして遊びたいかを考えます。しかしながら、都市ではそうはいきません。そこでは遊び場が必要になります。子供たちにはその権利があります。そのために、1989年から国連子供権利条約が存在しています。この条約はドイツにおいても効力を有する国内法となっており、この権利は現在、ドイツにおいて裁判所に請求することもできます。
人が住むような家を建てようとする者は、戸建て住宅であれ、多くの住戸をもつ集合住宅であれ、子供が遊ぶ場所を確保する義務があります。しかしながら、これは市の行政が直接果たすべき仕事ではありません。市が行わなければならないのは、建築主が自分たちに課せられている義務をきちんと果たすようにさせることだけです。しかしながら、多くの遊び場を設けるという義務を果たしたがらず、例外措置を申請します。しかしながら、ドイツ児童基金(die Deutsche Kinderstiftung)の代表であるノイマンさん(Frau Neumann)の考えでは、このような例外が認められ過ぎているといます。
そうすると、都市は自分たちでその問題に取り組まなければならなくなります。しかしながら、遊び場はしばしば、市の行政にとって優先順位が高くありません。そして一部の人は、戸建て住宅が多い地域では子供たちはその家に付属する庭で遊べると言います。しかしながら、その際に彼らは、遊び場がただ遊ぶ場所があるというだけの問題ではないことを考慮していません。というのも、遊び場では子供たちは自分の庭で遊ぶときよりもずっと頻繁に近所の子供たちと一緒に遊ぶからです。そして、さまざまな子供たちと繰り返し遊ぶことにより、他者に合わせたり、他の子供の考えを理解したりする能力を身につけていきます。これは子供の成長にとって非常に重要です。
子供たちがとりわけ好んで遊ぶような遊び場は、多くの大人たちには危険すぎるように思われます。しかしながら、子供たちが危険に対処することを学んだり、遊ぶときに自分にとってどこに限界があるかを理解したりするためには、少々危険である必要があります。子供を常にあらゆる危険から守ろうとする者は、かえって子供を危険に晒すことになります。というのは、そのようなやり方では、子供が自分で危険に対し注意を払い、みずから危険から身を守ることを学べないからです。子供がそれを行えば、より自立した存在にもなります。
建物を建てようとする者は、市の行政から許可を得なければならず、そのためには建築許可申請にさまざまな書類を添付しなければなりません。市役所の担当者がそれらの書類を非常に注意深く確認し、その際、子供が遊べる遊び場が計画されているかどうかにも注意を払います。しかしながら、ノイマンさん(Frau Neumann)は、建築工事が終わった後で、申請書類に記載された場所に実際に遊び場が設けられているかどうか、十分に点検されていないことが多すぎると考えています。また、遊び場がきちんと手入れされ、維持管理がされているかどうかについても、点検が不十分であると彼女は言います。遊んでいる最中に何かが破損した場合、その修繕までにしばしば長い時間がかかってしまうといいます。
ハーネルさん(Herr Hanel)は、世界中で遊び空間や遊び場を設計する団体を設立すると共に、そうした計画を実現させる会社も立ち上げました。彼は、子供たちを特定の遊びへと誘導すべきではないと考えています。というのは、彼ら自身が、十分に多くのアイデアを持っているからです。彼らには、自分たちの遊びを発展させることができるように、場所と空間だけが必要なのです。遊び場に、例えば、ベンチがあるとすると、そのベンチは、ある日には子供にとっては海へ漕ぎ出す船になり、別の日には森の中の小屋になり、そこから動物を観察することもできます。こうして子供たちは豊かな想像力を育んでいきます。しかしながら、彼は道路によってはそこでも子供たちが遊べるようにすべきであると言います。例えば、パリのように多くの道路を車両通行止めにする、そこでは車がごく
低速で走行することしか許されないようにする方法もあるだろうと言います・・・。
さて、今回の課題を通じて、「児童の権利に関する条約」(die UN-Kinderrechts-Konvention)の中に、「子どもが遊び、休息し、余暇を楽しみ、心身を回復することのできる権利」があることを知りました。また、ドイツでは戸建て住宅を建設する際に、原則として子供の遊び場も設置する義務があることを初めて知りました(日本では考えられない規則だと思います)。また、テキストによりますと、古代ギリシャの哲学者のアリストテレスが「遊びとは休息であり、人間は常に活動し続けることはできないのだから、休息を必要とするのである」と語っていますが、調べたところでは、子供の遊びに関する今回の文脈でこのアリストテレスの言葉を引用することは必ずしも適切ではないような気がするのですが・・・。
ところで、子供の想像力に関し、子供が遊び場のベンチを船や森の中の小屋に見立てる例が紹介されていますが、これに似た体験は確かにしばしばすると思います。大人から見れば、「なぜ?」と思うようなことでも、そのようなときには子供の頭の中では全く違った独自の世界があることを感じさせられます。
ところで、子供の遊びという今回の話題に関して思い出した言葉があります。それは昨年のNHKのドイツ語講座で紹介された哲学者・教育学者であるルドルフ・シュタイナーの言葉です。それは以下の通りです。
Aus der Art, wie das Kind spielt, kann man erahnen, wie es als Erwachsener seine Lebensaufgabe ergreifen wird.
「子供の遊びから、その子が大人になって自分の課題をどのように果たすかを推測できる」(テキスト記載の訳より)
これは中々含蓄がある言葉だと思いますし、興味深い指摘だと思います。実際に長く子供に接したことがある保育士や教師であれば、そのような経験もありうるだろうと想像します。後年その子供が何かを成し遂げたときに、長く教職に携わっていた教師がその人物に関するインタビューに答えて、「あの子は小さいときから他の子と比べ格段に○○が上手でした」や「一人でコツコツと必ずまる○○を成し遂げる子でした」という報道を見たり、聞いたりしますが、正にこれを指すのではないでしょうか。もっと身近な例としては、例えば、小さい頃から、縫いぐるみを並べて値札を作り、家族に「いらっしゃいませ」と言うのが好きだったおしゃまな女の子が、販売店員、カフェの店員または観光案内など人と接する職業に就くというのもあり得ると思います。想像力を育む遊びという点において、子供が遊び場のベンチを船や森の中の小屋に見立てる場合とどこか共通しているような気がします。
ところで、今回の課題においてzitierenという単語の使い方が気になりました。この単語は「引用する」であることは知っていましたが、使い方が私には不思議な単語に思えます。Dudenの独独辞典に記載があるようなeine Stelle aus dem Buch zitierenは「その本の中のある箇所を引用する」ですので簡単に理解できますが、今回の課題のSchiller zitierenや私の手元の辞書のGoethe zitierenのように人名と組み合わさった場合、それぞれ「シラーの言葉を引用する」「ゲーテの言葉を引用する」となり、日本語訳では普通「~の言葉」を補う必要があるからです。
さて、今回の放送でドイツの公園の遊具についていくつか出てきましたが、それ以外の定番的と思われる遊具についても含めて調べたものを以下に記載します。私が家族帯同でドイツで勤務した40年近く前には子供を連れて遊具のある公園には余り行きませんでしたので、これらの単語は聞いたことがあったとしても、Sandkasten(砂場)を除いては、私の記憶には全く残っていませんでした。頻繁に自分の子供をそのような遊具で遊ばせていた日本人の両親ならば、そのような遊具のドイツ語の単語を記憶しているだろうと思います。埋設型トランポリンについては、私自身は日本では見かけたことが無いような気がします。
【テキストに登場する遊具】
Wipp-Pferd(スプリング木馬), Schaukel(ブランコ), kleines Klettergerüst mit Rutsche(滑り台付きのジャングルジム)
【他の定番的な遊具】
Sandkasten(砂場), Abenteuerspielplatz(冒険型の遊び場), Reck(鉄棒),
Kletterturm/Kletterwand(クライミングタワー/クライミングウオール),Wippe(シーソー),Hangelstrecke(うんてい), Boden-Trampolin(埋設型トランポリン)
K. K.